Caplanの「希望」について 1

ペンシルバニア大学・生命倫理センターのディレクターであるArthur Caplanは、
この問題について一貫して批判的な立場をとり積極的に発言しています。

1月5日にMSNBC.comに寄せた
Commentary:Is“Peter Pan” treatment a moral choice?(“ピーターパン療法”は正しい選択か?)“という論評で、Caplanは、
ちゃんとした社会であれば、このような家族には各種用具や在宅ケアの人的支援が行われるはずなのに、
「アシュリーを小さなままにしておくのは社会の失敗を医療で解決するものである」
と書いています。

また
「虐待を防ぐという意味では性的に発達しなければよいのかもしれないが、
それはどの女性についても言えることだ。
だからといって体の一部を切り取っていいことにはならない」と書いた後で、
次のように主張します。

She needs a safe environment at home and if the day comes, a safe environment in an institution.

彼女に必要なのは家庭での安全な環境、
そして、いつかその日が来たならば、
それからは施設での安全な環境なのだ。

この論評を、彼は以下のように締めくくっています。

Families like Ashley’s need more help, more resources, more breaks from the relentless pressure of providing care and some hope that their daughter can be somewhere safe and caring after they are gone.
America has not yet made that promise to Ashley or her parents or the many other parents and kids who face severely disabling mental illness and impairment. We should.

アシュリーの両親のような家族に必要なものは、
もっと多くの支援であり資源であり、
介護負担の過酷なプレッシャーからもっと頻繁に解放される機会であり、

そして、
自分たちが逝った後にも娘がどこか安全な場所で暖かくケアしてもらえるという希望なのである。

アシュリーやその両親、他の多くの重い知的障害を持つ子どもと家族に対して、
アメリカはまだその約束をしていない。我々はその約束をするべきなのだ。