Diekema医師のウソと、そこから見えてくるもの

2004年にアシュリーに対して「何が行われたのか」について、最も気になる点は、やはり論文では2つのことが行われたとする医師らの発言と、ブログで3つのことが行われたとする両親の発言の食い違いでしょう。

医師らの発言を資料で詳細に追っていると、ウソをついているかと言えばウソにまではならないものの、事実を隠したり曖昧にしたり誤魔化している発言が目に付くような気がします。Diekema医師は1月12日の「ラリー・キング・ライブ」の中で、自分は強い宗教上の信念を持った人間だと言っているので、そのことと関係するのかもしれません。特にDiekema医師には一種独特の回りくどい言い回しや、饒舌になることで巧妙に話題を摩り替える傾向が顕著なのですが、これらもまた、ウソをつくことは避けたい心理の表れなのかもしれません。

ところが、そのDiekema医師が明らかにウソをついている場面があるのです。彼は1月11日のCNNのインタビューで、アシュリーに行われたことを、はっきり「2つ」と言っています。「医師らの論文にはマヤカシがある その2」の最後に簡単に紹介した内容と一部重複しますが、以下に紹介しましょう。

CNN:倫理委員会がこのケースを検討するために開かれた際に、議論された主要な問題は何でしたか?

Diekema:両親の要望には2つの側面がありました。我々が検討したのは、成長抑制を認めていいかどうかということと、子宮摘出を認めていいかどうかということでした。最初の問題は、これらのことでこの少女のQOLを改善できるかどうかという点。それらによって彼女の生活は改善するかどうか、です。次の問題は、害を及ぼす可能性があるか、またそれは利益があると見込まれても実施を認めるべきではないほど大きな害かどうかという点。倫理委のコンセンサスは、生活を大きく改善する可能性があり、実害はほとんどないというものでした。

CNN:2004年にアシュリーに行われたことを説明してください。

Diekema:成長抑制は単純に大量エストロゲンを投与することによって達成されました。スーパー・バース・コントロールと同じようなもので、彼女が成長することの出来る時期を短くします。通常の女性は16歳か17歳で成長が止まります。アシュリーは9歳で成長がストップしました。子宮摘出は外科手術で子宮を取り除きました。卵巣は残してありますから、正常な人と同じようにホルモンは生成されます。

前半の問答で「2つ」と答えた時、Diekema医師は明らかにウソをついています。後半の問答でも、あからさまなウソではありませんが、彼の得意な微妙かつ巧妙な摩り替えが行われています。

「何が行われたのか」と正面切って問われてしまったDiekema医師は、すなわち「アシュリーに行われたこと」を総括せよと求められたわけですが、論文においてと同様、そんなことはしたくなかった、またはするわけにいかなかったのでしょうか。「アシュリーに行われたこと」を答える代わりに、「アシュリーに行われたことを実施した際の方法」を答えているのです。このように答えることで、彼自身もまた嘘をつくことを免れるのかもしれません。確かに、成長抑制は大量エストロゲンの投与で行われたし、子宮摘出は外科的に行われました。「子宮摘出は外科手術で子宮を取り除きました」などと、言わずもがなのことまで並べているのは、饒舌になることで問いと答えの微妙なズレから聞く人の意識を逸らせたいとの無意識でしょうか。

それにしても不思議なのは、この時点では両親のブログではもちろん、多くの報道で既に乳房芽の切除は表に出ていること。Gunther医師も既にいくつかの取材に答えて乳房芽を切除したと述べています。それを知らなかったということも考えにくいのですが、なぜDiekema医師は、ここで「両親の要望には2つの側面があった」と明らかなウソをついたのでしょうか。

さらに不思議なことには、この問答が放送された翌日には彼はこのウソを撤回するのです。(11日は生放送ではなかったので、インタビューが行われたのは前日10日かもしれません。)12日に「ラリー・キング・ライブ」に衛星中継で生出演した彼は、「ところで教えてください。あまり専門的にならずに、何が行われたのかを」とキングから、またも正面切って総括を求められます。そして「3つありました。アシュリーの両親が求めたのは……」と、今度は「3つ」だと答えているのです。もちろん「昨日(または一昨日)は2つといいましたが、実は3つでした」と断って撤回したわけではありません。

なぜ、1日か2日の間に言うことが変わったのでしょう?

本人の説明がない限り、そのナゾを解くことは不可能ですが、この直後に起こったこととしては、まもなく医師らはマスコミの取材に応じなくなりました。果たしてメディアへの露出や取材が厳密に12日で最後だったかどうかまでは確認できませんが、このあたりを境にGunther 医師もDiekema医師もメディアとのコンタクトを断ったように思われました。

では、この時期に何か特別なことがあったのでしょうか。

WPASがワシントン大学に対して調査開始を告げて情報提供を求めた、いわば宣戦布告のような書簡の日付は1月8日です。子ども病院に送られた同じ内容の書簡は1月10日付。この2日間の遅れはどういう理由によるものなのか、ちょっと気になりますが、8日付の書簡が大学に届いた時点で子ども病院も連絡を受けたであろうことは、容易に推測されます。

その後、求められた情報への答えを子ども病院が書簡にまとめ、さらに添付資料をそろえて両者が会談を行うのが22日。子ども病院が準備に10日以上もかかっていることを考えると、やはり障害者の人権擁護団体が調査を始めること、その団体が調査権限を持っていたことは、子ども病院にとっては全く寝耳に水の話だったのかもしれません。その衝撃は、書簡の文面にも見てとれます。以下の引用で、1月の2通の書簡と4月5日の書簡とのトーンの違いを比べてみてください。

We would like to discuss with you whether and how to proceed with such a survey….
このような調査を行うかどうかについて、またその方法についても、あなた方と協議いたしたく……(1月22日)

We look forward to collaboration with you as we do so.
我々はあなた方と協働できることを楽しみにしております。(1月22日)

Thank you for meeting with Jodi and me on Monday, January 22. We very much appreciated the spirit of collegiality and cooperation of our meeting, and we look forward to working with you in the future.
昨日はJodiと私に会ってくださり、ありがとうございました。我々は話し合いが共同と協力の精神で進められたことを大変喜んでおり、これからも協働できることを楽しみにしております。(1月23日)

As Jeff Sconyers stated in our meeting yesterday, we do not believe that this request falls within the scope of WPAS’s legal authority, but we are nonetheless providing you …… I trust you will find this information helpful. I will be away from the office….contact Jeff Sconyers at ….. if you need further relevant information while I am away.

昨日の会談でジェフが述べたように、この要求はWPASの法的権限の範囲を超えていると我々は考えておりますが、それでもなお我々はこれらの資料を提供するものであり……この情報でお役に立つはずです。私はしばらく事務所を留守にしますので、その間に関連情報がさらに必要になった場合は、この番号でジェフにご連絡ください。(4月5日)

4月の書簡では立ち直って、むしろ反発や反撃の構えさえ感じられますが、1月の22日、23日の書簡では極めて低姿勢です。書簡全体からも、強い警戒感を持って慎重に対応しようとしている様子が伺われます。

Diekema医師がCNNのインタビューを受けた可能性がある1月10日ないし11日、次いで「ラリー・キング・ライブ」に衛星生出演した12日あたりの時期、病院は相当に危機感を抱き、混乱していたのではないでしょうか。