「葬式」再掲

今日、「私らの子」が、
また一人亡くなった。

それで、
09年3月29日に書いた
以下のエントリーを再掲したくなった。

葬式(2009/3/29)


身近な子どもが、また1人亡くなった。

とても重度ではあるけれど元気な子だったのに……と
知らせを聞いて絶句する。

電話で知らせてくれた人と、
いつもこういう時に繰り返す儀式のように

「○○さんちのAちゃんの時には、こうだったよね」
「そういえば△△さんちのB君の時も、こうだったっけ」

いつのまにか数えることをやめてしまった子どもたちの死を1つずつ振り返る。

ずっと身近で見て、よく知っている子もいたし、
顔を知っている程度という子もあった。

時には子どもですらなくて、いい年のオッサンだったりもした。
中学校まで娘のクラスメートだった男性は、
かつて就学猶予を強制された年齢超過者で私よりも年上だった。

でも、どの子もどの人も、亡くなったという知らせを受けると、
私はいつも「私らの子が、また1人死んだ……」という感じがする。

私らの子が、また1人死んだ――。

そういえば、あの子もこの子も、いなくなった。
いつのまにか、私らの子が、もう、こんなにたくさん死んでしまった――。

養護学校の卒業式の後とんと会わなくなった重症児の親たちが葬式で顔を合わせて、
通園時代や養護学校時代の親の同窓会みたいだ。

焼香で人が動く時に見知った顔を見つけて、同時に、
その人の子どもがずっと前に危篤状態になったことを思い出す。
ウチの娘と同じで、幼児期には健康でいる日など数えるほどしかない子だった。
お母さんも「この子はそう長くは生きないだろうから」とよく口にしたし
「そんなことないよ」と言いながら、周りの人たちだって本当は心の中でそう思っていた。

それでも彼女の娘は数年前に成人式を迎えて、今もちゃんと生きている。

そういえば、あの子も、そして、この子も……と指を折ってみれば
ちゃんと生きている子だって沢山いることに驚かされる。

へんな言い方だけれど、仲間内で子どもたちが初めて死に始めた頃は
誰かの子どもが亡くなると、次はどこの子だろう、
もしかしたらウチの子だろうかと、みんな疑心暗鬼に駆られて
内心で子どもたちを重症度や体の弱さで順に並べてみたりしたものだったけど、

この子たちは決して、障害の重い順、弱い順に死んでいくわけじゃない。

とても重度で虚弱で、長くは生きられないだろうと誰もが思っていた子どもが
ある年齢から急に元気になることもあるし、
弱いまま何度も死にそうになったり、医師や親にいよいよだと覚悟させたりしながら
それでもちゃんと生きている子どもたちもいっぱいいる。

そうかと思うと、
それほど重度なわけでもなく、障害があるなりに元気だった子が
ある日突然に体調を崩し、あっという間に逝ってしまったりする。

あの子が死んで、この子がまだ生きていることの不思議を
説明することなど誰にもできない。

人の生き死には、人智を越えたところにある。

今日、葬式で
いっぱい死んでいった子どもたちや、
まだいっぱい、ちゃんと生きている子どもたちの顔を一つ一つ思い浮かべて、
改めて、そのことを思った。

同じように重い障害を持って生まれてきて、
あの子が死んで、この子がまだ生きていることの理由やその不思議を
いったい誰に説明できるというのだろう。

そんな、人智をはるかに超えたところにある命に、質もへったくれもあるものか。

「生きるに値する命」だとか「命の質」だとか「ロングフル」だとか、
そんなのは、みんな人智の小賢しい理屈に過ぎない。

生まれてきて、そこにある命が
生きて、そこにあることは、それだけが、それだけで、是だよ。

障害があろうとなかろうと、
どんなに重い障害があろうと、
生きてはいけない人なんて、どこにもいない。

重い障害を負った私らの子は
次々に死んでいくように見えるけれども、

本当は障害のあるなしとは無関係に
誰がいつ死ぬかなんて、誰にも分からない。

だから、

あの子もこの子も、生きてこの世にある間は
生きてこの世にある命を、誰はばかることなく、ただ生きて、あれ──

それを、せめて大らかに懐に抱ける人の世であれ──と

亡くなった子の遺影を見上げて、心の底から祈った。