高山義浩医師の「倫理の腐敗としての『胃ろう不要論』」を読んだ

教えてくださる方があって、読んだ。

倫理の腐敗としての「胃ろう不要論」
高山義浩 apital 2013年6月19日

心が温かくなって、
じん、と感謝の気持ちに満たされた。

例えば、以下の個所など。
(ゴチックは例によって、共感を込めてspitibara)

私は胃ろう推進論者ではありませんが、胃ろうを選択した方々が後ろめたさを感じることがないよう配慮したいと思っています。寝たきりでも、発語不能でも、 それで尊厳がないと誰が言えるでしょうか? コミュニケーションできることは「生命の要件」ではありません。胃ろうを受けながら穏やかに眠り続けてい る・・・、そんな温室植物のように静謐な命があってもよいと私は思うのです。

「拘縮して会話不能な寝たきり高齢者に胃ろうは必要か?」という思考実験は、胃ろうのもつ倫理的課題を明らかにします。その実験自体は大切なことだし、そこ で皆が感じている直観は「(それぞれに)正しい」と私も思います。ただ、その結果、胃ろうを選択する全ての患者さんへと疑念を向けてしまう「倫理の腐敗」 が日本社会に起きつつないでしょうか?

胃ろうについて悩んでいる方々のこと、もう少し、そっとしておいてくださると助かります。

未読の方、ぜひ読んでいただければ――。


胃ろうの問題については
当ブログでも何度も書いてきました。

それについては以下に ↓



また、同医師が同じサイト書かれた
縛られる患者たち(2013年1月31日)も良いです。

この記事に関するツイッターでのやり取りの中で高山医師は以下のように書いている。

弱者を犠牲にして集団を守ろうとする傾向が強まっているようなので、とくに医療者は気をつけなければいけないと思っています。


その他、以下も面白かった。



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ついでに高山医師のツイッターを覗いてみて、
ひゃっほー!! と叫んでしまったツイートを2つ。

病児ケアは保護者の理解度や観察力が重要なので、観察マニュアルを配布して「分かったでしょ」では、むしろ危険なんですよね。母親の直観が大切だし、それを磨いてほしい。まあ、患者の検査データばかりみていて、患者の顔色で「やばい」と思えない研修医もいます。
(1月20日)

残念ながら「研修医」だけではなかったりもして……。


私は基礎研究者を尊敬していますし、その業績のうえで仕事をさせていただいていますが、感染症について単純化したモデル(ゲノムだけみてどうのこうの)を みながら、結論めいて独白する研究者には自制を求めたいと思いますね。いま、フィールドを走り回っている疫学研究者の報告を待つべきです。
(4月4日)