高山義浩医師の「倫理の腐敗としての『胃ろう不要論』」を読んだ
教えてくださる方があって、読んだ。
心が温かくなって、
じん、と感謝の気持ちに満たされた。
じん、と感謝の気持ちに満たされた。
例えば、以下の個所など。
(ゴチックは例によって、共感を込めてspitibara)
(ゴチックは例によって、共感を込めてspitibara)
私は胃ろう推進論者ではありませんが、胃ろうを選択した方々が後ろめたさを感じることがないよう配慮したいと思っています。寝たきりでも、発語不能でも、 それで尊厳がないと誰が言えるでしょうか? コミュニケーションできることは「生命の要件」ではありません。胃ろうを受けながら穏やかに眠り続けてい る・・・、そんな温室植物のように静謐な命があってもよいと私は思うのです。
「拘縮して会話不能な寝たきり高齢者に胃ろうは必要か?」という思考実験は、胃ろうのもつ倫理的課題を明らかにします。その実験自体は大切なことだし、そこ で皆が感じている直観は「(それぞれに)正しい」と私も思います。ただ、その結果、胃ろうを選択する全ての患者さんへと疑念を向けてしまう「倫理の腐敗」 が日本社会に起きつつないでしょうか?
胃ろうについて悩んでいる方々のこと、もう少し、そっとしておいてくださると助かります。
未読の方、ぜひ読んでいただければ――。
胃ろうの問題については
当ブログでも何度も書いてきました。
当ブログでも何度も書いてきました。
それについては以下に ↓
ETV特集を機に「胃ろう」について書いたエントリーをまとめてみる(2010/7/26)
“栄養補給所”を作って「業務がはかどる」と胸を張った師長さん、「胃ろう検討は十分な看護ケアをしてから」と主張した師長さん(2010/7/26)
“栄養補給所”を作って「業務がはかどる」と胸を張った師長さん、「胃ろう検討は十分な看護ケアをしてから」と主張した師長さん(2010/7/26)
この記事に関するツイッターでのやり取りの中で高山医師は以下のように書いている。
弱者を犠牲にして集団を守ろうとする傾向が強まっているようなので、とくに医療者は気をつけなければいけないと思っています。
その他、以下も面白かった。
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病児ケアは保護者の理解度や観察力が重要なので、観察マニュアルを配布して「分かったでしょ」では、むしろ危険なんですよね。母親の直観が大切だし、それを磨いてほしい。まあ、患者の検査データばかりみていて、患者の顔色で「やばい」と思えない研修医もいます。
(1月20日)残念ながら「研修医」だけではなかったりもして……。