美しい文章 9: 日本国憲法 第97条

『人間的価値と正義』(牧野広義著 文理閣 2013)を読んだら、

その中に2度も引用されている、これを
「美しい文章」として、ここに書いてみたくなった。

日本国憲法 第97条

この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。


これが、自民党日本国憲法改正草案では丸ごと削除されているって、
知っている人、どのくらい??

この方の、草案と現憲法の対照表が大変わかりやすいです ↓
(開いて、ちょっと下までスクロールすると対照表があります)



それから、
上の部分を書きながら思いだして
改めて胸が熱くなったDick SobseyのSinger批判も以下に――。

国連の子どもの人権条約において
生存と成長発達の権利が子どもの最も基本的な権利として謳われている。

この条約を前提に
障害があるという理由で命を断たれてしまう子どもや
Ashleyのように意図的に成長を止められる障害児のケースを説明しようとすれば
それらが全て障害のある子どもの権利を侵害してるか、
もしくは障害児はすべての子どもに認められた権利の埒外とされているかの
いずれかだと考えるしかなく、
私は前者だと主張し、
Singer氏は後者だと主張するわけだ。

私が前者だと主張する根拠は1989年の子どもの人権条約において
重い障害のある子どもが十分に保護されるべきことが謳われており、
障害を理由に異なった扱いを受けるなど
「いかなる種類の差別も」明白に禁じられていることである。

条約は障害児の権利が侵されてきたことを指摘したうえで、
彼らの権利に特に保護を求めているのであり、
Singer氏が主張するように
障害児はすべての子どもに認められる権利の対象外だとの理解ではない。

ソマリアと米国以外の国連加盟国が批准している
この子どもの権利条約を否定することなしには
Singer氏の主張は論理的に成立しない。

48年の世界人権宣言にも、71年の精神薄弱者の権利宣言についても同様であり、
すなわちSinger氏の立場を受け入れることは、
ユニバーサルな人権を認めてきた過去60年の成果を無にすることである。




そう――。

人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果。
ユニバーサルな人権を認めてきた過去60年の成果。

だからこそ――。