未知なものの不確かさに耐えて目の前の現実を生きることの希望について

以下の昨日のエントリーに、
今朝Moritaさんからコメントをいただき、
そのコメントに誘発されてお返事を書いていたら、
頭のグルグルが止まらなくなったので、


いま一つ、きちんと整理できていないのが申し訳ないのですが、
今の段階で考えたことのメモとして。

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おはようございます。いろいろありがとうございます。
いただいた引用から既に頭がグルグルし始めているのですが、
私はなんでもまず卑近な自分の体験を連想することから始まるので、
子どもの障害を知らされた直後の親の混乱した心理状態を思い浮かべました。

生まれた直後に「将来、障害が出ますよ」と言われても、
いったいどういう種類の、どの程度の障害になるかということは誰にもわからない。
だから、その先の「この子の人生はどうなるんだろう」とか
「私はちゃんと育てられるんだろうか」という問いにも、
いくら考えても、ちゃんと考えてみるための、とっかかりすら、どこにもない。

何もかもが未知で不透明で、ただ「たいへんなことになった」と。
確かなことなど誰にもわからない中で将来への不安と怯えばかりが膨らんでいく――。
それはただただ恐ろしい、暗い穴の中に一人でどんどん沈み込んでいくような気分だった。

だから、多くの親は
「この子は治る」と言ってくれる人を求めてドクター・ショッピングをしたり、
「奇跡の療法」にのめり込んだりする。その心理って、ある意味、
確かなものを求めてオウムにすがった信者と似ているかもしれない。

でも本当の意味で生きていくための希望って、
確かなもの、すがりつけるものを探しているうちは見つからなかった……と、
あの頃のいろんな親たちの姿を思い返して、思う。

確かなものなどどこにもない、先がどうなるかなんて誰にもわからない。
それを事実として受け入れられた時に、初めて、
その先が全く見通せない不安に耐えながら、
目の前の「今日ここにある現実」と向かい合い、
その現実を生きていくことができ始めた。

そして希望は、
そんなふうに毎日を自分の身体で生きてみることの中にしか
見いだせなかった、と思う。

「今ここにいる、この子」という目の前の現実と向かい合うことによって、
そこには障害があろうとなかろうと愛おしい我が子がいて、
その子のためにしてやれることが自分にあり、親子それぞれの笑顔や泣き顔があり、
日々の雑事にジタバタしながら共に暮らす生活の時間がある。

そんな日常を身体で生きることを通して、
幸不幸は障害の有無だけで短絡的に決められるものじゃないということを、
私たちは「身体で知って」いったのだと思う。そして、
「この子の障害は治らないのかもしれない」「寝たきりになるのだろうな」というふうに、
受け入れがたい現実が、不思議なことに、少しずつ受け入れられていった。
受け入れながら、共に生きていこう、と思えるようになっていった。

もちろん、そう思えるようになったからといって、
もう迷いがないとか不安がない、辛いことなどなくなった、というわけじゃない。
いつも悩ましいことを抱え、何度も深く傷つきながら、
それでも心の奥底に悲しみや傷を抱えたままでも、
日々を楽しく幸せに生きていくことはできる、と
私たちは少しずつ知っていった。

日々を幸せに生きていながら、ある時ほんのわずかなことを機に、
人の心は一瞬にして暗く閉ざされてしまうことがあるんだ、ということも知った。

子どもの障害を受容できたと思っては、
また何かが移り変わるたび、何かが起こるたびに、
新たな受容を迫られては苦しみ、ぐるぐると同じところを巡りながら、
少しずつ障害のある子どもの親として成長していった。

そうして、人が生きている日常も人の気持ちも、
単純な幸・不幸で割り切れるような単色ではなく、常にいろんな色が混じり合っていて、
色だけじゃなく微妙なグラデーションとシェードの間で常に移ろっているものなんだ、
ということを知った。

昨日の補遺で拾った中に、
英国の障害者運動の活動家が、自殺幇助合法化推進ロビー団体のトップに向けて書いた
公開書簡があって、その中で「あなたがやっていることは
未知なるものへの恐怖をかきたてるキャンペーンだ」
という意味の一節がとても印象的だった。

「未知なもの」「見通せないもの」「自分でコントロールできないもの」は怖い。
「分からない」まま生きるということは、不安定な足場の上に立っているのと同じで、
その不安定な感じは、誰にとっても、たまらなく恐ろしい。だから人は
その不安定さに耐えられなくて、確かなものを求めようとする。
不安定なものを排除してしまおうとする。

「治る」のでなければ、いっそ「終わりに」してしまいたい。
そうすれば、不安定なところに立ち続けている恐ろしさも終わるから、と。
まるで崖っぷちに立ち続ける恐ろしさに、自ら飛んでしまう人のように――。

その気持ちは、私も自分の中に抱えている
「どうせ」であり「いっそ」という自棄的な気分でもある。

でも、本当は一番怖いのは、その不安定さに魅入られて、
そこから目を離せなくなること、そこに立ちすくんで動けなくなってしまうことじゃないんだろうか。

障害の問題に限らず、人間が生きていることにまつわる問題は
「Aか否か」や「AかBか」とはっきり答えが出せるところにあるのではなく、
「AでもありBでもありCでもあるけれど、AのみでもBのみでもCのみでもないなかで、
どうするか」というところにあって、その問いの答えは、
曖昧で不安定で分からないことだらけであることの恐怖に耐えながら、
目の前の個々の現実と惑いつつ、取り乱しつつ、向かい合い続け、
その現実の一回性を自分の身体で生きることからし
見つからないのではないか、と思う。

たぶん、希望も、強引に割り切ろうとすることからは見つけられなくて、
そんなふうに答えが簡単に見つからなくて、見苦しくグルグル・ジタバタしながら、
矛盾だらけの割り切れなさを生きることの中にしか
見つけられないのだろう、とも思う。

説明はできにくいのだけれど、
「割り切れなさ」というものが、実は「かけがえのなさ」というものと
とても密接につながり合っているんじゃないか、という気がする。

科学とテクノロジー
何もかもを「分かるもの」「コントロール可能なもの」にしてくれそうな幻想に
多くの人が操られ始めている今の世の中だからこそ、逆に
未知なもの、不安定なもの、割り切れないものへの恐怖心が
より一層高まっていくのかもしれない。

「身体も命もいかようにも操作・コントロール可能なもの」という
“コントロール幻想”がはびこっていく今の世の中の、
最も大きな不幸の一つが、その幻想の反作用としての、
「分からないこと」「自分でコントロールできないもの」への許容度の低下と、
未知なものへの恐怖心の増悪なのかもしれない。

それが「どうせ治らないなら、いっそ」というような、
一方の極端から一気にもう一方の極端に簡単に振れてしまうような
短絡的なものの考え方を広げているんじゃないだろうか。

でも、たぶん人が生きるということは、
その両極端の間のどこかを見苦しく右往左往することでしかないんじゃないだろうか。
希望も生きることの豊かさも、その右往左往の中にしか見いだせないんじゃないんだろうか。

“コントロール幻想”の世界の救いのなさは
何もかもが整合して割り切れすぎていて、だからそこには
かけがえのないものがないこと――。

そこには人知を超えるものが存在しない。
人知を超えるものへの畏れがない――。

かけがえのないものがない、人知を超えるものがない、そこは
「祈りをなくした世界」なんじゃないだろうか。

そんな気がする。

だから、
人の世が向かう先にあまりに希望が見出せなくて、
「どうせ」「いっそ」と、今にも崖から飛んでしまいたい気分に駆られそうになっては、
なんとか踏みとどまろうと自分に言い聞かせつつ、

信仰というものを持たない私なりの精いっぱいの祈りを込めて、
こんなエントリーを書いてみる。