「NHSでまともな終末期ケア受けられそうもないから」自殺幇助合法化を支持、35%

インターネットを通じた4000人以上への世論調査で、
10人に7人が「不治」の病気の人への近親者の自殺幇助は許されるべきだ、として
英国の法改正に賛成、と答えた。

反対したのは16%で
どちらとも分からないと答えた人が14%。

宗教など個人的な信条による違いは見られなかった。

自殺幇助を支持する理由としては
82%があげたのが、いつどのような死に方をするかを決める「権利」。
77%があげたのが、苦しみが長引くよりも死んだ方がよい。
35%があげたのが、NHSではちゃんとした終末期ケアは受けられそうにないから。

合法化推進の立場がやった調査なんだろうなぁ、と思われ、
その点で気になるのは、

質問が(少なくともこの記事の書き方だと)
「医師による自殺幇助」ではなく「近親者による自殺幇助」について聞いていながら、
記事の解説部分ではその違いが明確にされていないこと。

「終末期」の人について聞いているのではなく
「不治」の人について聞いていること。

(「不治」=「末期」ではないのに、
合法化推進派は意図的にそこを混同させようとする傾向があると思う)

質問設定が
「自殺幇助を支持するか」「生命の神聖を支持するか」というふうに、
推進派が描いて見せる「死の自己決定」か「なにが何でも延命か」という
現実的でない二項対立の構図を描くものとなっている。

(慎重派が主張しているのは必ずしも「なにが何でも延命」ではなく、
個々のケースについての過不足のない丁寧な判断であり、
例えば、アグレッシブな症状コントロールとしての緩和や全人的サポートなど、
推進派の描く対立の中間を丁寧に模索しようとの姿勢だろうと個人的には思うのだけれど、
純化した両極端の対立の構図を描くことで、それが見えなくなってしまう)

NHSで現在問題になっている
リヴァプール・ケア・パスウェイの機会的適用問題が
35%の「どうせ丁寧なケアなんか受けられないんだから」と
記事タイトルにあるように「NHSへの不安が自殺幇助への支持を後押し」する
事態となっている。

LCPの機会的適用問題についてはこちらに ⇒http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/65742574.html

これは私自身、
日本で尊厳死合法化に賛成だという人たちの理由も
実際はそういう辺りにあるのではないか、と感じてきたし、

平穏死を説いている医師らの中心的な主張についても、実は
現在の医療の在り方に対して、個々の患者に丁寧な医療ができていない、との批判だという
疑問があったので、すごく気になるところ。

もとGPのSarah Wollaston議員は
現在の終末期医療は劇的に改善されてきているとして、

If that is major concern it doesn’t mean we should go down the road of saying people are worried about that, let’s give them a pill.

もし、それが大きな不安なんだとしても、
だからといって、合法化して不安な人には致死薬を上げましょうということにはならない。




LCPの機会的適用問題というのは、
医師による自殺幇助が合法化されていないにもかかわらず、
医療現場で機会的なLCPの適用で事実上の安楽死となっているとしたら、
ゆゆしき事態であり、そちらの現状を正すべきだ、という話だろうと思うのに、

そういう問題までが
「どうせ機会的にLCPに乗せられて、まともにケアしてもらえないなら」という
合法化への動機づけとして作用していくのか……。

こういう世の中になってくると、
ありとあらゆるものが、ある一定の方向に向かおうとする
時代の力動に取り込まれてしまう……みたいな……?

時代の不寛容な空気が、
不当なことに対して憤る力を人々から削ぎ取り、
諦めて自ら身体や命を捧げようとするところへと誘導していく……。

やっぱり思うのは、
世界がどんどん「虐待的な親のような場所」になってゆく――。


……世界で起こっていることや、
人間の社会がどっちに向かって行こうとしているかとか、
その中で日本がこの先どっちに行くのかとか、

そういう大きな絵に目を向けてばかりいると、つくづく希望がなくて、
「どうせ」とか「いっそ」とかいう自棄的な気分になってしまうから、

目の前の、あの人やこの人との繋がりのことを、
しばらく考えていよう。

少なくとも、そういうところには希望はまだいっぱいある――。