Tony Bland訴訟(英1993):植物状態患者から栄養と水分の停止を認める
トニー・ブランド事件(1993)については
以下をはじめ、いくつかのエントリーで触れており、
以下をはじめ、いくつかのエントリーで触れており、
それらによると、トニー・ブランドは
栄養と水分を含めた延命治療の停止を裁判所が認めた
英国の法律史上初めての患者。
栄養と水分を含めた延命治療の停止を裁判所が認めた
英国の法律史上初めての患者。
Airdale総合病院の医師らは回復の見込みはないと判断し、
家族も生命維持の停止に同意。
家族も生命維持の停止に同意。
医師らは検死官から殺人罪に問われる可能性があると指摘され、
またそれまでの判例(Bolam)からも医師のライアビリティが免除されるには
一般に許容された医療の範囲であることが求められることから、
裁判所にトニーの延命処置を停止しても罪に問われない確認を求めた。
またそれまでの判例(Bolam)からも医師のライアビリティが免除されるには
一般に許容された医療の範囲であることが求められることから、
裁判所にトニーの延命処置を停止しても罪に問われない確認を求めた。
トニーは自己決定の能力を欠いているため、
トニーの利益を代理する法的後見人オフィシャル・ソリシタが任命され、
中止は殺人に当たると主張。
トニーの利益を代理する法的後見人オフィシャル・ソリシタが任命され、
中止は殺人に当たると主張。
トニーは事故に遭う前に
そういう状態に置かれた場合にどうしてほしいかという希望を語ったことがなかったが、
そういう状態に置かれた場合にどうしてほしいかという希望を語ったことがなかったが、
裁判所は、
意識も回復の見込みもない以上、延命は本人の最善の利益に当たらないとして
病院の訴えを認める。
意識も回復の見込みもない以上、延命は本人の最善の利益に当たらないとして
病院の訴えを認める。
オフィシャル・ソリシタは上訴。
上訴審も1993年2月19日に
意識のない患者への栄養と水分の供給は患者の利益にはならない、と判断。
意識のない患者への栄養と水分の供給は患者の利益にはならない、と判断。
ブランドは93年12月21日に死亡。事故死として記録された。
また、Jacqueline Laing医師がその後もBland事件を批判し続けている。
その主張は、その後2008年の終末期医療戦略に基づいて
Freedom of Information Act(情報の自由法)ができたことから、
この判決には見直しが必要であり、
その主張は、その後2008年の終末期医療戦略に基づいて
Freedom of Information Act(情報の自由法)ができたことから、
この判決には見直しが必要であり、
(LCPは現在大きな論争となっていることもあって、興味深い指摘)
Bland事件に見られる「意味のある生」という差別的な考え方には
見直しが必要だ、と。
見直しが必要だ、と。
(私も、Ashley事件でも「無益な治療」論でも死の自己決定権議論でも
「意味のある人生を送る可能性」とか「人と意味のあるやり取りができる能力」などの
表現に出くわすたびに、「なんだそりゃ??」感がぬぐえない)
「意味のある人生を送る可能性」とか「人と意味のあるやり取りができる能力」などの
表現に出くわすたびに、「なんだそりゃ??」感がぬぐえない)
94年に家族がものを目で追うようになった、と報告。
97年にはブザーを使ってYes-Noのコミュニケーションが可能となっている。
2009年に意識があり周辺の状況が理解できている様子ながら、
昏睡から覚めた12年前から、身体状況はほとんど変わっていない。
97年にはブザーを使ってYes-Noのコミュニケーションが可能となっている。
2009年に意識があり周辺の状況が理解できている様子ながら、
昏睡から覚めた12年前から、身体状況はほとんど変わっていない。
最後のDevineさんのケースについての個所を読んで頭に浮かんだのは、
もしもBlandさんの家族が停止しようとする病院に抗って、
典型的な「無益な治療」訴訟になっていたとしたら、
どういう判決になっていたんだろう……ということだった。
典型的な「無益な治療」訴訟になっていたとしたら、
どういう判決になっていたんだろう……ということだった。
なんせ、直接処遇職員の証言で
「植物状態」の診断が「最小意識状態」へと覆った女性Mさんの事件では、
「この人はもう意識はない」と捉えている医師にも家族にも
Mさんの微妙な反応は見えていなかった、
反応は目の前にあったのに見えていなかったんだけれど……。
「植物状態」の診断が「最小意識状態」へと覆った女性Mさんの事件では、
「この人はもう意識はない」と捉えている医師にも家族にも
Mさんの微妙な反応は見えていなかった、
反応は目の前にあったのに見えていなかったんだけれど……。
「ブランド訴訟の判決では、
延命すべきであるかどうかの判断について、
生命の質を考慮することが認められている」(p.88)
延命すべきであるかどうかの判断について、
生命の質を考慮することが認められている」(p.88)
とか、
「表現にわずかな違いがあるものの、どの裁判官も
『生物学的な意味においてだけ人命であるにすぎないような生命に自分は価値を認めない』
ということを明確に表明したのである」(p.89)
『生物学的な意味においてだけ人命であるにすぎないような生命に自分は価値を認めない』
ということを明確に表明したのである」(p.89)
と書いているんだけれど、
すごく違和感がある。
そこに軽々に見逃せない重大な飛躍があるような気がするのだけど、
ちょっとすぐには整理がつかないので、また時間をかけてぐるぐるしてみたい。
そこに軽々に見逃せない重大な飛躍があるような気がするのだけど、
ちょっとすぐには整理がつかないので、また時間をかけてぐるぐるしてみたい。
シンガーが何年も前に何を書いていたにせよ、
英国の現実はその後の年月を経て、今では
「意識はあっても停止して構わない」というところまで
進んでしまっているってこと……?
英国の現実はその後の年月を経て、今では
「意識はあっても停止して構わない」というところまで
進んでしまっているってこと……?
そういえば上記の女性Mの事件の後で、
シンガーの弟子筋のSavulescuとWilkinsonがこんなことを言ってたな……。↓
「最小意識状態は植物状態よりマシか? 否。カネかかるだけ」とSavulescuとWilkinson(2012/9/8)
シンガーの弟子筋のSavulescuとWilkinsonがこんなことを言ってたな……。↓
「最小意識状態は植物状態よりマシか? 否。カネかかるだけ」とSavulescuとWilkinson(2012/9/8)