Rasouli事件の病院で新たな「無益な治療」訴訟:「救命できても自立生活は無理だから生命維持停止を」

カナダで脳卒中で意識不明となった男性Dennis Dayeさん(65)を巡って
無益な治療訴訟。

Dayeさんは先月10日、
大きな脳卒中を起こしてSunnybrook Health Science Centerに運ばれ、
脳の浮腫のために頭蓋骨の多くの部分を取り覗く手術を受けた。

主治医のFowler医師をはじめSunnybrookの医師らは、
Dayesさんの脳損傷は「広範囲」で「不可逆」であるとして、
生命維持(人工呼吸器と経管栄養)を中止して患者を死なせるべきだと主張。

Daye氏の妻であり代理決定者であるPilarさんは
治療続行を望んで対立。

Sunnybrookってどこかで聞いたことがあるなと思ったら
何度もエントリーで追いかけてきたRasouli事件のHassan Rasouliさんがここの患者だった。
(この記事によると、Rasouli訴訟では先月、最高裁が判決を延期したとか)

なお、そのRasouli訴訟では
下級裁判所でも上訴裁判所でも医師側に独自の決定権を認めず、
Consent and Capacity Board (同意と能力委員会)の判断を仰がなければならない、と求めた ↓
「生命維持停止に同意なんて医師の権威を損なう」Rasouli裁判続報(2011/5/19)


そこで、今回は医師らはまずCCBの判断を仰いだ模様。

同病院の医師らのCCBでの証言は、
Daye氏についての神経科医のアセスメントは予後は「極めて悪い」というもの。

「自立生活はできず他者による介護と施設介護が常時必要となる
…he will always be dependent on others and in an institution for care
というのが一致した医師らの見解である、と。

主治医は、人工呼吸を中止して蘇生無用指定とし、
より緩和的アプローチに切り替えるべきだと求めている。

また前妻との間にできた娘は
父親は活動的な人物だったので、
こういう形で生かされることは望まなかったはずだと証言し、

「もし父が自分で決められるとしたら、
生活の質なんて何もなくなってやりたいことができなくなり、それよりなにより、
ベッドから出ることもできなくて誰かに世話してもらわなければならないなんて、
そんなことは父は絶対に望まなかったと私には確信があります」

一方で、反対尋問では
Pilarと折り合いが悪い彼女は、
父親の再婚以後の5年間は父親と会ったことは1度もない、とも。

妻のPilarさんはパン屋の経営者で、
夫は、何年も自分と一緒に実践してきた民間療法を続けたいと望んでいるはずだ、と主張。

主治医は「妻は自分の望みと夫の望みとを混同しているのでは」と。



以下のリンクに見られるように、Rasouli訴訟では、
途中で、診断が「植物状態」から「最小意識状態」に変わって、
最高裁の判断が注目されている。

「無益な治療」の判断基準が、
「救命がもはや可能ではないのに患者に苦痛を与えるだけの治療は無益」から
「救命は出来ても、その結果が要介護状態となるなら無益」へとシフトしてきたのでは……と、
私はずっと懸念を感じていたのだけれど、

Dayesさんの生命維持と経管栄養を「無益」とする医師らの判断基準は
「自立生活はできず常時介護が必要となる」であり、

娘が「父親は生きることを望まないと確信している」と主張するのも、
「ベッドから出られないままで誰かに世話をしてもらう」状態について言われている。

つまり、ここにあるのは、歴然と
「命が助かっても重症障害を負うなら、その患者の救命は無益」という「無益な治療」論。

しかも脳卒中を起こして、
まだ1カ月あまりしか経っていない段階で――。


そういえば、最近カナダの「無益な治療」訴訟では、こういうのもあった ↓
カナダの“無益な治療”訴訟で「Owen教授のアセスメントを」(2012/12/8)