ケベックの小児外科医「これほどの医療崩壊を放置してPAS合法化なんて、とんでもない」

16日の補遺で拾ったように、
カナダ、ケベック州政府が医師による自殺幇助の合法化の方向を打ち出したことで、
ケベック州での議論が再燃しているのだけれど、

どこの国の議論でも、賛否両論とも、
すでにあちこちで出尽くしたものばかりだと思っていたら、
これまでの反対論とは一味違うのが出てきた。

PASや安楽死合法化が、医療崩壊問題の打開策とされる危険性を指摘し、
それが医療が本来持っていたはずのヒューマニティを損ない、
医療の文化の変質が起きることを危惧している。

著者はSherif Emilというケベック州の小児外科医。

いかにケベック州の医療制度そのものが破たんしているか、その現状を描き、
医療界・政界が、その医療の崩壊自体に無策のままPASが合法化されていくことの
危うさを指摘している。



著者によれば「ケベックほど安楽死の合法化が危険な場所はない」。

なぜといって、
カナダ医療協会の調査(2010)で
カナダ人の大半が医療制度は破たんしていると答えたが、
中でもケベック州が最悪という結果が出たという。

で、現場の小児外科医の経験している崩壊とはどういうものかといえば、

著者の毎日の診療は常にトリアージ状態で、
日々どの患者から治療すべきか判断を迫られているという。

手術室の資源も、集中治療室のベッドも、入院ベッドも、看護師も
ありとあらゆるものが、足りない。

大人の病棟はもっとひどい状況にある。

過去25年間で、医療制度のヒューマニティはほとんど消滅してしまった。患者のためにこそ医療制度があるはずなのに、その患者が医療制度に対する負担とみなされるようになってしまった。最も弱い人たちのケアを託されている多くの人々のモラルを、資源の不足と政府のお粗末なマクロ政策がくじいてしまった。この腐敗に注意を喚起しようと声を上げる者もいるが、耳を傾ける者は少なく、声はかき消されていく。本当の意味で患者と家族中心のケアを、というのは、かつてのようにルールではなく、もはや例外である。こんな環境下で、我々は自殺幇助を導入しようというのか?

さらに、

……緩和ケアは今では在宅でもホスピスでも受けられ、家族や愛する人に見守られながら尊厳ある死に方ができるようになった。緩和医療は独自の専門領域にまで成熟し、痛みや苦痛を和らげる新たな治療や方法論を見つけるために、何十億ドルという資金が投資されている。医師が使えるツールは指数関数的に増えており、痛みのマネジメントや緩和ケアに特化した医学ジャーナルも新たに刊行されている。痛苦が命を終わらせる論拠になるのなら、殺すべきは痛苦であって患者ではない。痛みに対して十分な治療を行わずに自殺幇助を合法化するのは、うつ病に対して十分な治療を行わずに自殺幇助を合法化するに等しい。Mount医師を始め、多くの緩和ケア医らが安楽死に強く反対しているのは偶然ではない。


また、小児科医として著者が特に懸念するのは
ケベック州の同意可能年齢が14歳とされていること。
これは北米で最も低い。

一方、ケベックの選別的中絶率は北米で最も高い。
避妊と性教育は広く行き渡っているにもかかわらず、である。

また先天的欠損のある胎児の中絶率も最も高い。
中絶される胎児の障害の多くは治療可能なものであり、
予後もよいにもかかわらず、である。

ケベック州では妊娠後期に至っても、
先天異常が発見されれば中絶が認められている。
この段階では、まず殺してから出産させる方法をとる。

それならば、これらの異常を生まれた後になって親が知った場合は?
生まれたばかりの我が子の命を終わらせる法的権利が
親に認められることになるのだろうか?

次に著者が懸念するのは、
ケベック政府の法案がベルギーの安楽死法をモデルとしていること。

ベルギーの腫瘍科医誌で緩和ケアユニットのディレクターであるCatherin Dopchie医師が
ちょうどモントリオールケベック・シティで講演したばかりだという。

Dopchie医師は、
ベルギーの10年前の安楽死合法化で「開いたパンドラの箱」がどういうものか語った。

痛みがコントロールされないことを恐れて、患者も家族も医師も
緩和ケアを試みることすらせず、その代わりに医師による安楽死に飛びつく。

安楽死を選ぶことは「勇気ある」行為となり、
あちこちで高齢者とターミナルな病気の人々には
明に暗に「勇気ある」選択へのプレッシャーがかかっている。

当初は極端なケースへの解決策として提案されたものが、
広く喧伝される「治療的選択肢」となってしまった、とDopchie医師。

同医師がケベックを去るや、耳に入ってきたのは
ベルギーでろうの双子の兄弟が安楽死したニュースだった。

(ベルギーの実態については以下の報告書が去年出ています ↓
ベルギーの安楽死10年のすべり坂: EIB報告書 1(2012/12/28))


著者は、
安楽死は社会にとって、より簡単な道だけれども、
破たんした医療制度の問題と取り組む、より困難な道を選ぶべきでは、
そのためには正直とリーダーシップが必要だ、と。

最先端の医療をもってしても治癒は時に可能という程度かもしれないが、苦痛をとり楽にしてあげることなら常に可能である。私は、医師が時に殺すけれど、苦痛をとり楽にしてあげることは滅多にしない、というような医療制度の下で、医療をやりたくない。