NY法科大学の終末期医療シンポめぐる論争 2

前のエントリーからの続きです。


実際のシンポ当日、
NDYの関係者3人が会場で抗議のビラを配った。

それについて書かれたDrakeの11月19日のエントリーがこちら ↓



このエントリーによると、配られた抗議ビラの内容は
10月のDrakeのエントリーの第3パネルに関する部分の抜粋だけど、

ビラのタイトルを含め、主張の柱に
「私たち抜きに私たちのことを決めないで」というスローガンとともに、
障害者のアドボケイトがシンポのスピーカーに含まれていないとの批判が追加されている。

エントリーには当日の写真が何枚かあり、
1枚では、シンポ会場入口付近でサッデウス・ポウプが
3人の一人で旧知のNadiana Laspinaさんと話をしている。

そのポウプはその後、
自身のブログでこの件について以下のエントリーを書いている。

Not Dead Yet and the NYLS End-of-Life Symposium
Medical Futility Blog, November 21, 2012


このエントリーでポウプが書いているのは、概ね以下。

① 3人の活動家が法科大学の奥にまで入れてシンポ会場までこれたことは、それまでのNDYのブログ活動とともに、終末期の医療の問題での障害者の視点への意識を高めてくれて良かった。
② Nadinaとは2010年4月にBetancourt事件の上訴審での弁護活動の際に出会った。あの日、法廷にNDYが抗議に来ていたことは、様々な弁論と同じく、3人の裁判官に向けた強力なメッセージになった。
(Betancourt事件については ⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/60827258.html)
③ しかしこの度のシンポへのNDYの批判は本当にフェアで正確なのだろうか。ウ―レットも所属するアルバニー法科大学も、障害者の権利については多くの仕事を成してきたはずだ。
④ 問題となっている第3パネルの「特別な人々」という表現は、障害者だけでなく囚人など弱い立場の人が含まれていることから簡単に説明がつく。


この最後の点については、
ビル・ピースがコメント欄で反論し、
ここでも興味深いやり取りになっている。

「弱い立場の人を特別と称すること自体が、軽視であり、
そういう表記に問題を感じないこと自体が、障害者の権利を理解していない証拠」

「私はスピーカーの一人にすぎず、企画にはかかわっていない。
しかし言葉の選択がまずかったにせよ、200人を超える参加者があり、
それだけの人たちが障害者と囚人の視点を時間を割いて検討したことも事実と思う」

「言葉の選択がまずかったのではなく、問題のある表現なのである。
囚人と障害者の問題は注目すべき大問題。どんどん悪くなる一方なのだから」

そのビル・ピースはシンポの翌日、
自身のブログでエントリーを書いている。

それについては次のエントリーで。