美しい文章 4: 藤沢周平 「大はし夕立ち少女」

 日は変わりなく照っていたが、いつの間にか光が白っぽく変わり地上の物の影がうすくなっているのにさよは気づいた。河岸の道に出たときに、不意に強い風がうしろから吹きつけてきた。さよは身体をあおられて風呂敷包みを落としそうになり、あわてて包みを胸へ抱えこんだ。
 風は強いだけでなく、ぞっとするほどつめたかった。振りむいて空をみたさよは、思わず恐怖に襲われて声を立てるところだった。さよがこれから帰って行く新大橋の向う岸の町町は、日を浴びて白くかがやいているのに、あたけの北にひろがる町町の上の空は、見たこともない厚い鉛いろの雲に埋めつくされていた。そしてその一段低いところを、薄い黒雲が右に左に矢のように走り抜けているのだった。
 あの橋さえわたってしまえば、と必死に走りながらさよは思った。だが橋にたどりつく一歩手前で、日が雲に隠れてあたりは夕方のように暗くなり、つづいて雷が光った。ほんの少し間を置いてからさよのまわりが一斉に固い音を立てはじめた。そしてそれはすぐに、耳がわんと鳴るほどの雨音をともなう豪雨になって、さよだけでない橋の上のひとびとに襲いかかってきた。
 その雨の中に紫いろの光がひっきりなしに光り、雷鳴はずしずしと頭の上の空をゆるがした。「落ちたよ」と誰かが叫ぶ声がして、さよはおそろしさに足が竦むようだった。するとそのとき、びしょ濡れの身体に後ろから傘をさしかけた者がいた。
「日暮れ竹河岸」(文春文庫)
(p.186-7)


やっぱり周平さんは、いいなぁ。本当に、いいなぁ。

どの本も、もう数え切れないほど読み返しているのに、
それでもまだ、こんなふうに、おっ? と立ち止まり、
何度も何度も読み返して、そのみごとさを味わいたいような数行に出会ってしまう。

なんで前に読んだ時にはこれが見えなかったんだろう……と、不思議に思いながら。

こんなにすさまじいほど研ぎ澄まされた描写が、また、
目立たない小さな作品の中に、一見なんということない顔をして紛れ込んでいるあたりが、

あぁ、やっぱり周辺さんだなぁ……と
またまた惚れ直してしまう。