Nicklinsonさん、肺炎で死去

以下のエントリーで追いかけてきた英国の訴訟で
思いがけない続報。



ツイッターをはじめられたことで、
生きる希望を見いだされますように、と祈る思いでしたが。

Tony Nicklinsonさんのご冥福をお祈りします。

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上記17日のエントリーで拾ったように、
Nicklinsonさんの自殺したいとの希望は
自殺ほう助に関する法改正に関わることなので議会が決めることとして
裁判所に退けられました。

それを知らされたNicklinsonさんは、
号泣したと言われます。

以下の記事にも、
無念に顔を大きくゆがめて号泣している当時の写真があります。
(私はこういう写真を見ると、この人が本当にロックト・インなんだろうか、と
今でもやっぱり思ってしまうのですが)

また17日前後の報道でも
それなら餓死も辞さないとの思いも示唆されていました。

それをすぐに実行したのでしょうか、
その後、Nicklinsonさんは食事をとらなくなったとのこと。

そしてこの週末に肺炎を起こし、
そのまま悪化して亡くなったようです。

以下の記事は

……「自然な原因(複数)」で亡くなった;その一つは失望(a broken heart)だったかもしれない。


もう数年来、PAS合法化ロビーと化しているBBCをはじめ、
英国のメディアがこぞって、あの判決がNicklinsonさんを追い詰めて殺した、という
論調で盛り上がるだろうことが予想できるようで……。

そして、この記事にも既に顕著ですが、
自分で薬を飲めない全身性障害者だというだけで、
それ以外の人なら可能な自殺行為が許されないのは差別だ、という論調も。



なにしろDPPのガイドライン
事実上、近親者による自殺ほう助は合法化されたも同然。

自分で致死薬を飲める人なら
近親者にスイスに連れて行ってもらえば自殺できて、
その近親者も罪に問われることはないわけだから、

自分で呑み込めないだけで同じことが認められないのは差別だ、という論理そのものには
一理あるようにも思え、

この記事は
Nicklinsonさんの訴訟は「平等の問題」だったと書いているのですが、

私は

DPPのガイドラインができて
滑り坂が用意されてしまった時に、
ことの必然として起こってくるはずの訴訟だったのであり、

これは実際には平等の問題というよりも
ご都合主義的なDPPのガイドラインがはらんでいる矛盾の問題なんでは、

と思うのだけど。