NDRNのCurt Decker、“アシュリー療法”、障害者の権利、医療と生命倫理について語る

今年5月に米国の障害者保護と人権擁護ネットNDRNが
障害者への“アシュリー療法”、強制不妊、一方的な治療停止と差し控えについて
強く非難する報告書を刊行しましたが、

07年のアシュリー事件で調査報告書を書いたDRW(NDRNのメンバー)のサイトに、
5月22日付でNDRNトップのCurt Deckerのインタビュー・ビデオが
アップされていました。

NDRN’s Curt Decker on Ashley’s Rights
DISABILITY RIGHTS GALAXY, May 22, 2012

それぞれを要約する形で、全Q&Aを以下に。

Q:障害者にとってはアシュリー療法が選択肢となることそのものが問題なのだということが、生命倫理学者や医師にはどうして理解できにくいのでしょう?

A:一つには一般と同じく、重症障害者にはなんの可能性もないという偏見を彼らも共有していること。それから生命倫理学者、特に医師は、専門性に基づいて自分たちが人のことを決めてよいとする教育の影響があって、それらが無知と傲慢という最悪のコンビネーションとなって意思決定を間違える。

Q:A療法の問題を親にはどのように理解させればよいのでしょう?

A:大事なのは親を悪魔扱いしてはいけないということ。彼らは重症障害のある子どもの親になる準備をしてから親になるわけじゃないし、知るべきこともきちんと知らされていない、カウンセリングも受けていない、医師からの情報も間違っている、そんな中で不安から親は間違った選択をしてしまう。だから、どういう支援があるのか、ちゃんと情報提供をし、重症障害のある子どもがいる家族にも会わせて、重症障害のある子どもも成長して大人になれるし、家族と豊かな生活を送れるということを知らせていけば、親もまた違う選択をするようになる。

Q:なぜA事件は障害者の権利運動の今後にとって大事なのでしょう。

A:我々の社会が重症障害者を価値のないものとして扱っており、それがアシュリー療法の正当化の基盤になっているからだ。さらに身体を切り刻んだり他の形で手を加えることや、成長する権利の制限、DNR指定の問題などの差別につながっていく。これまで我々が闘い続けてきた結果、住居、就業、学校ではバリアがなくなってきたのに、こうしたメインストリーミングに反する動きが出てくるなら、社会の根底にある、障害者を価値の低いものとみなす意識と闘わなければ。

Q: セルフ・アドボカシーにおけるP&Aシステムの役割は? どのように活動を?

A:我々は法的根拠のあるシステムとして、全米で障害者の権利の問題に取り組んできて政策、手続き、法規制の重要性も十分わかっている。こうした医療介入が間違っていることについても子ども病院であれ行政機関であれ、出掛けていって問題を指摘しなればならない。

Q:A事件からの5年で、生命倫理学者や医師や医療界を変えること、重症障害者の権利擁護について学んだこととは?

A:彼らを変えることは難しいが、セルフ・アドボケイトで障害者自身の声をあげて行くことだと思う。障害者自身が自分で声をあげられないという問題ではなく、医療界のシンポや倫理システムそのものが障害者を議論から締め出して聞く耳を持っていないという問題。P&Aシステムと法的アドボケイトが支援して、障害者自身の声をそういう場に持ち込めば、医療の姿勢も変わる。

Q: A療法についてセルフ・アドボカシーには言いたいことが多いが、それが届かないのはなぜか。どうしたら変えられるのか。

A:世の中には障害者のことをよく知らないまま、関わりを避けようとする人が多い。特に性に関する問題は正面から取り組まれるのではなく、問題をないものとすることで回避されてきた。一般には、障害児を育てるのは金銭的にも心理的にも大変だろうと思われていて、一般の人たちはそこに自己同視し親に同情してしまうからでは。現実にはそうではないのだということ、重症障害者にも守るべき基本的人権があることを伝えて行く必要がある。

Q: なぜA事件のフォローアップ報告書が重要だと?

A:議論を続ける機会として。A事件以来の議論はあるが、今なお、アシュリー療法の問題は「家族の権利と負担」vs「本人の権利」のバランスの枠組みでとらえられている。議論を障害者の市民権、人権という基本の本題へとシフトしていく。議論を終わらせず、届くべき人の声を議論に届け、適切な手順と規制を作って医療界がアシュリー療法を重症障害者に押しつけさせないように、できると思う。



Decker氏と言えば、
NDRN報告書の前書きも胸を打つ文章です ↓