スイスで「人生が嫌になった」高齢者の自殺幇助が増えている
スイス在住者を対象に自殺幇助を行っているExitからの報告で、
自殺幇助を選択しているフランス語話者の5人に1人、ドイツ語話者の3人に1人が
特に命にかかわる病気にかかっているわけではなく、
特に命にかかわる病気にかかっているわけではなく、
自殺希望の理由としては
健康問題のほかに「人生が嫌になった」を挙げる人が増えているという。
健康問題のほかに「人生が嫌になった」を挙げる人が増えているという。
それでも自殺幇助を受ける要件は満たしているので、幇助は出来る、とExit.
スイス西部のExitのトップSobel氏は
「それに加えて、高齢者が人生の冬を迎えて、
既になくなった人の元へ行きたいという最後の大きな望みというのがあります」
「それに加えて、高齢者が人生の冬を迎えて、
既になくなった人の元へ行きたいという最後の大きな望みというのがあります」
Sobel氏は、
そうした高齢会員の要望を受けて
幇助するケースの対象範囲が広がってきたという説明するのだけれど、
そうした高齢会員の要望を受けて
幇助するケースの対象範囲が広がってきたという説明するのだけれど、
それはどこまで法的な規定の範囲内なのか、
単にExitの解釈に過ぎないのではないか、と
ちょっと疑問。
単にExitの解釈に過ぎないのではないか、と
ちょっと疑問。
もちろん批判の声は出ていて、
たとえば
法的拘束力はないにせよ、
スイス医学会(? The Swiss Association of Medical Sciencees)の中央倫理委員会の綱領では
PASはあくまでもターミナルな患者に限定すべきだとしている。
法的拘束力はないにせよ、
スイス医学会(? The Swiss Association of Medical Sciencees)の中央倫理委員会の綱領では
PASはあくまでもターミナルな患者に限定すべきだとしている。
しかしSobel氏は
「盲目的に医療倫理綱領に従っていたら
合法的な中絶も自殺幇助も今でもあり得ない」
「盲目的に医療倫理綱領に従っていたら
合法的な中絶も自殺幇助も今でもあり得ない」
The Swill Medical Reviewの編集長 Bertrand Kiefer氏は、
「こうした高齢者の自殺要求にあまり安易に答えてしまうと、
社会に美や若さやパフォーマンスを中核的な価値として確立してしまう。
社会に美や若さやパフォーマンスを中核的な価値として確立してしまう。
死の希望に応える前に、
様々な問題はあっても人生に意味を見いだせるのではないかと、我々は問わなければならない」
様々な問題はあっても人生に意味を見いだせるのではないかと、我々は問わなければならない」
スイスの自殺幇助に関する法律については、私は
幇助する人が個人的な利益のためにすることでなければOK、という解釈しか知らず、
幇助する人が個人的な利益のためにすることでなければOK、という解釈しか知らず、
実際にDignitasでは、
ターミナルでない人や、全く健康な人が幇助を受けていて
それでも法的に取り締まりが行われたわけではないので、
ターミナルでない人や、全く健康な人が幇助を受けていて
それでも法的に取り締まりが行われたわけではないので、
その後に「それに加えて」とExit側の発言が続くことから
ちょっと曖昧な書き方になっているし、
ちょっと曖昧な書き方になっているし、
記事中の上記2つの要件とはスイスの法的基準ではなく
単にExitが設定した基準ではないかと思われます。
単にExitが設定した基準ではないかと思われます。