浅井篤氏ら「医師の無益性判断、日本の患者は受け入れるか?」と英語論文

ピーター・シンガーの翻訳などがある功利主義生命倫理学者、浅井篤氏が、
浅井研究室の門岡康弘氏、東京医療センターの尾藤誠司氏との共著で
以下の論文を発表。

門岡氏については、こちらに ⇒http://qq.kumanichi.com/medical/2009/04/post-236.php

尾藤氏が中心メンバーである
「もはやヒポクラテスではいられない」21世紀 新医師宣言プロジェクト
HPはこちら ⇒http://www.ishisengen.net/

Can physicians’ judgment of futility be accepted by patients? A comparative survey of Japanese physicians and laypeople
Yasuhiro Kadooka, Atsushi Asai and Seiji Bito
BMC Medical Ethics 2012, 13:7 doi:10.1186/1472-6939-13-7
Published: 20 April 2012


この論文、タイトルは
「医師の無益性判断は患者に受け入れ可能か? 日本の医師と素人の比較研究」

アンケート調査を、
様々な専門領域の医師に筆記により行い、80%の401人から回答を
また素人にはインターネットを通じて行い、1134人から回答を得たところ、

質問された治療の提供に対して素人の方が優位に肯定的であった。

無益性判断のファクターとして
医師は医療情報と患者のQOLを重視したのに対して、
素人はどちらかというと患者家族の希望と患者に与える心理的影響を重視。

いずれのグループでも
質歴無益性の判断の閾値には大きなばらつきが見られた。

医師の88.3%に無益な治療を提供した経験があった。

その理由は患者サイドとの意思疎通の問題と、
無益性またはこうした治療の中止に関するシステムの欠落であった。

アブストラクトの結論は

Laypeople are more supportive of providing potentially futile treatments than physicians. The difference is explained by the importance of medical information, the patient family's influence to decision-making and QOL of the patient. The threshold of qualitative futility is suggested to be arbitrary.

無益である可能性のある治療の提供について医師よりも素人の方がより肯定的である。この違いは、医療情報の重要性、患者家族の意思決定への影響、患者のQOLで説明される。質的無益性の閾値は恣意的なものであると考えられる。


なお、無益な治療ブログのPopeの以下のエントリーによると、

日本の医師と素人間の無益性判断のギャップは
カナダとアメリカの研究結果とだいたい同じではあるが、

医師が無益と判断された治療を提供する理由として
カナダと米国で挙げられている「訴訟回避のため」を上げた医師は17%と少ないことと、

「病状に関わらず命を救うためにはあらゆる手を尽くす義務がある」とか
「不可逆的意識不明状態にある患者も尊重し、
治療はためらわずに申し出なければならない」との
義務感を持っている医師が多いことが異なっている、と。