桜並木

もう10年以上前から、年に数回、
県北の町へ”独りドライブ”に行っている。

ミュウを施設に入れてしまった罪悪感と闘いながら、
人間としての機能停止状態 から回復途上だった頃、
夫に「仕事でちょっと遠くへ行くけど、ドライブがてら乗ってく?」と連れだされた。

その町には、山があり、田んぼが広がり、川が流れていて、

その川沿いの、ポツポツ花を開きかけた桜並木の下に車を止めて、
コンビニで買ったおむすびを2人で食べた。

しばらくして、
あの桜が満開になったところを見たいと思い立ち、
それまで一人で運転したことのない道と距離を、
ずっと心臓をバクバクさせながら運転して行った。

県北の桜はもう満開を少し過ぎていて、
川沿いに車を止めてドキドキが収まるのを待ってから、
桜吹雪の中で、タッパーに詰めてきた前の晩の残り物を食べた。

それから年に何回か、ふいと思い立っては通っている。

行くたびに距離が延び、そのうちに、
お気に入りのCDと、気が向けばカメラを積んでいくことを覚えた。

山肌を霧がまるで巨大な生き物のように這い伝う姿に
息を飲んで見入った日があった。

国道沿いには毎夏、
真っ赤なサルビアプランターがずらっと並ぶし、

ここを行くと、
正面の山がパワフルな緑にわんわんと燃え立って迫ってくるんだ……と、
夏にはいつも期待に胸を躍らせて曲がる大きなカーブがある。

文字通り黄金色のカーペットになって、ゆさゆさと波打つ田んぼも、
稲刈りが終わると、ずらりと整列した稲藁の三角帽子が可愛らしい。

寒暖の差が大きかった秋には、紅葉があまりに豪華で、
山が目に入った瞬間に熱いもの込み上げてきたことも。

もちろん、あの川沿いの桜並木は、
いつ行っても、その季節ごとの風情を漂わせてくれる。

そんなふうに何度も何度も通ううちに、美術館や博物館のありかを知り、
お昼のメニューも、コンビニのおむすび+デザート(某観光名所の見晴らしの良い駐車場で食す)、
絶品ラーメン、美味しいパスタ、たまにちょっと贅沢な美術館のレディス・ランチ……と選択肢が増え、

お昼ごはんの後には
焼き立てパンやフキノトウ味噌やヒレハムをお土産にゲットしてから
ゆったりと満ち足りて、帰途に着く。

あの町へ行こう! と思い立つ時というのは、だいたい
往きのドライブで頭の中に激しい感情ややこしい物思いがグルグルを続けるのだけど、

目の前がドーーン!と開けていて
山があって、田んぼが広がり、そこに川が流れている景色は
行くたびに鮮やかで、なにやら懐が深く、

その景色の中を走り続けているうちに、いつのまにか心が平たくなっている。
行き詰っていた仕事や問題が、不思議なことに帰り道では必ずふいと解ける。

川沿いの桜吹雪の中で残り物のお弁当を食べた10年以上前のあの日から、
それまでは何の縁もゆかりもなかった遠い町を、
そんなふうにして数えきれないほど訪れてきた。

今では、私の幾多の喜怒哀楽を見知ってくれている、
自分の布団の中みたいな、親しく懐かしい場所だ。

あの遠い日に車の中に座っていた自分を思うと
今でも胸の奥がちょっとジンとなるけれど、

長い年月を経た今、
そういう場所が自分にあることを、何よりの幸せだと思う。