高谷清著「重い障害を生きるということ」 メモ  1


高谷氏は京大付属病院、大津赤十字病院などを経て
1984~1997年、重心施設、第一びわこ学園園長を務めた医師。
現在も同学園の非常勤医師。

当ブログで高谷氏について書いたエントリーはこちら ↓
子と親と医師との「協力」で起こすことのできる“奇跡”:ボイタ法の想い出(2011/10/8)


ものすごく不遜なモノの言い方であることは承知しており、本当に恐縮なのだけれど、
私はいつでも「まっすぐ」しかない社会的バカだから、そのまま書いてしまうと、

この本を手にとって帯の
「生きているのがかわいそう」なのか? という2行を見た瞬間に、

まるで天啓に打たれるみたいな衝撃と共に、

この高名な重心医療を専門にする医師が書いた本と
名もない一人の母親である私が書いた「アシュリー事件」とが
同じ時期に刊行されたということに、ほとんど運命的な繋がりを信じてしまった。

それには、ちょっとした伏線がある。

拙著「アシュリー事件」をきっかけにした、あるいきさつから、
私はこの新書を手にする直前に高谷氏の論文を読んだ。

全国保険医団体連合会の雑誌の7月号に掲載になった
“「パーソン論」は、「人格」を有さないとする「生命」の抹殺を求める”

そこでは、
シンガー、エンゲルハート、トゥーリー、トゥルオグについて解説されたのちに

パーソン論の「反応」や「自意識」「理性」に対して
「いのち」「からだ」「こころ」と「脳」が考察され、
「いのち」は、「脳」ではなく「からだ」と「こころ」に宿る」と書かれている。

さらに「生きていて「かわいそう」か」という問いを立てて
「生きている喜びがある」状態を実現していくことが直接関わる人と社会の役割、
「人間社会の在りようではないかと思うのである」と結論した後に、

直接重症児・者と接している者がこうした議論に反論し、
人格・人権・生命を守っていく取り組みを進めると同時に、
重症者のことや彼らを支える仕事の内容や役割・意義を、
分かりやすく世の中に発信していくべきだ、と訴えて締めくくられている。

今の時代に英語圏生命倫理で起こっていることに対する認識。
英語圏で起こることに牽引されて世の中が向かっていこうとしている方向に対する危機感。
反論しなければ、それと同時に、反論のためにも、ほとんど知られていない重症児・者の姿を
直接知る者として、世の中に向けて表現し伝えなければ……という、問題意識――。

同じ認識、同じ危機感、同じ問題意識を共有し、
高谷氏は重心医療に携わってきた医師の視点から、
私は親として、またアシュリー事件と英語圏生命倫理を追いかけてきたライターの視点から、
同じ時期に同じテーマ・メッセージ性の本を書いたのだ……と、

それは、新書を手にする前からの強い予感だった。

そこで、まだ本を開く前に帯の「「生きているのがかわいそう」なのか?」を見た瞬間、
その予感がずばりと適中したと、ほとんど宿命的なものに打たれた感じがした……というわけ。

著者は新書の中でパーソン論には一切言及していないし、
全体に見れば、もう少し緩やかに広く一般に向けて書かれている印象の本だ。

そういう印象から言えば、読みながら私の頭に連想されたのは
故・小澤勲氏の「痴呆を生きるということ」岩波新書)と
川口有美子氏の「逝かない身体」医学書院)の2冊だった。

小澤勲氏の「痴呆を生きるということ」についてはこちらのエントリーで言及、引用 ↓
Spitzibaraからパーソン論へのクレーム(2009/8/23)

川口有美子氏の「逝かない身体」についてはこちらのエントリーで言及・引用 ↓
Cameron党首、自殺幇助合法化に反対を表明(2010/4/9)


でも、やっぱり、「重い障害を生きるということ」は、7月の論文の文脈において、
「重症者のことや彼らを支える仕事の内容や役割・意義を、分かりやすく世の中に発信していく」
ことを意識して書かれた本なのだと思う。

帯にある「生きているのがかわいそう」という言葉は
本書「はじめに」によると「外国のグループの見学」で出た言葉とその意味だし、

101ページには、ごくさりげなく
「ある人びとは、この『自意識』こそが人間である証だという」との1文がある。

もちろん他の章でも考えさせられたり学んだことは多々あるけれど、
そんなわけで私にとってこの本の核心は第1章と第2章の2つ。
Ashley療法論争での「どうせ赤ちゃんと同じ」、「どうせ何も分からない」という
重症児へのステレオタイプな決め付けへの反論としても、
なんとも心強い味方を得た気分で、盛大に手を叩きつつ読んだ。

だから、なによりも、まず、Ashley事件のようなことが起こったり、
パーソン論功利主義が声高に説かれ、優生思想のよみがえりが懸念されるこの時代に、
この国で、重心医療の専門家によってこの本が書かれたことに、心から感謝――。


次のエントリーに続きます。