利益が全くない心肺蘇生を親が諦めないケースでの倫理委の検討過程

前のエントリーの続きです。


② Katherineのケース

ケースの概要は以下。

妊娠32週目の出産。1680グラム。

早産による呼吸障害で
生後4日目まで人工呼吸器、その後4日間鼻チューブ。
その後も夜間無呼吸症候群。腸ろうによる栄養摂取。

生後25日目に腹腔内出血。
開腹により、腹腔内に後半に広がった悪性腫瘍を認めるも、
切除は不能と判断し、閉じる。

その病院の小児がんの専門家の診断では余命は2カ月程度。
長期生存の例はなく、抗がん剤に効果は見込めず、むしろ出欠を悪化させる。

別施設の小児がん専門医の意見を聞くも、同じ診断。

両親は病院側の説明を納得し抗がん剤治療の差し控えに同意した。
しかし病院が提案したDNR指定は拒否し、少しでも長く生きさせてほしいと
人工呼吸器の装着と心肺蘇生(CPR)を求めた。

その後、3週間に渡ってKatherineの様態は悪化し続け、
アグレッシブな鎮痛剤投与にも関わらず、本人が苦しむことが増える。
病院は人工呼吸器の取り外しを提案するが両親は拒否。
新生児医が何度もDNR指定を勧めるが、
両親はそのたびに蘇生の手を尽くしてほしいと希望。

ローテーションで診察した別の新生児医が倫理委員会の検討を求める。


倫理委はまず、両親と両親が同席を求めた母方の祖母を交え、
さらにNICUの看護師らも同席の上で約1時間の話し合いの場をもつ。

看護師らはKatherineが顔をしかめるなど苦痛の表情を見せることから
彼女のケアを続けることに「道徳的な苦悩」を感じていると口々に表明。
こうした場をもつことが、この話し合いの主な目的の一つでもあった。

両親と祖母は熱心なキリスト教徒としての立場から
奇跡を信じて、少しでも長く生きさせてほしいと重ねて要望。

医療サイドはCPRは効果がなく本人の利益にならないため
全員がCPRは倫理的に適切ではないとの立場。

むしろ、ろっ骨骨折のリスクなどCPRは本人の苦痛となる、
抗がん剤の差し控えと同じように考えられないかと説得を試みるが
両親と祖母の考えは変わらなかった。

その後、倫理委のみで検討。

まず、無益性を根拠に医師が治療を拒否することの倫理的正当性について
近年、疑いが投げかけられている'''。その根拠とされているのは、
治療の無益性の根拠としてどれだけのデータが必要とされるかが曖昧、
医師によっては無益性概念を不当に濫用している懸念がある、など。

しかし、このケースはそのいずれでもない、極端なケースであり無益性が明らか。

それでは蘇生はともかく、痛み止めの使用についてはどうか。
全員が、死を早めることになってもアグレッシブに使用することを是とする立場。

では親の決定権は?
本人への負担が大きすぎて利益がないことでクリアできる。

などと議論が進む中で、
このケースでの問題は、実は意外なところにあったことが炙り出される。

最初に当直医がDNR指定を提案した際に、
DNR指定をするかしないかの選択が両親に提示されたことになった。それは同時に
明らかに効果のないCPRをするかしないかの選択まで親に提示されてしまったこと、
その提示によってCPRに効果があるかのように思わせてしまったを意味する。
このケースの本当の問題はそこにあった。

以後、CPRの効果があるかどうかが
まず新生児科内または倫理委で検討されるべき必要が確認されたが
それは今後のこととなる。このケースではどうするか。

両親を納得させるために、形だけの蘇生をやって見せる slow code はどうか?
いや、それは正直な医療ではないだろう、とこれは却下。

最終的に倫理委の勧告は
本人への利益がなく負担が大きすぎるためCPRは倫理的に妥当ではない。
この勧告でも両親が意思を変えない場合は、医療チームは
病院が定めるConscientious Practice Policy (良心的医療の方針 CPP)に基づく
所定の手続きによって行動する、というもの。

CPPは米国医師会の勧告によって意見の衝突時の手続きを病院ごとに定めたもので
医療職に法的な保護を提供するものではないが、
転院やセカンドオピニオンなどが盛り込まれている。

両親はこの通知を受けても、CPRを求める気持ちを変えなかったが
法的な措置まではとらなかった。

Katherineは倫理委から7日後に死亡。
蘇生は行われなかった。

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2つのケースを元に、
「ほら、こんなふうに倫理委はNICUでの"無益な治療"争議で役割を果たせるでしょ」と説かれても……

倫理委が必ずこれだけのクオリティの丁寧で良心的な検討をすることが
一体どうやって保証されると――?

著者のMercurio医師自身、Katherinのケースについて書いた部分の冒頭で
無益性概念を不当に振りかざす医師がいることについて言及している。

病院の文化によっては個々の医師どころか倫理委が
不当に振りかざすことだって、ないとは言えないのでは?

実際、カナダでは、その危うさを痛感させる事件が同じ病院で相次いで起こっている。
(文末に2つの事件の関連エントリーをリンク)

それに、この著者はDiekema医師の害原則を引用しているけど、
そのDiekemaこそが、あのAshley事件で倫理委を誘導した人物でもある。





【Kaylee事件と同じ病院で起こったFarlow事件関連エントリー
親が同意する前からDNR指定にされていたAnnie Farlow事件(2009/8/19)