介護者“燃え尽き症候群” 10の症状

「家族介護の9つの秘訣」に続き、再びAARPのサイトから――

優しくて頑張り過ぎちゃった介護者に訪れる“燃え尽き症候群”。
こんな兆しが見られたら、あなたも“燃え尽き”かけているかも。


介護について話す時に「いつだって」「ゼッタイに」と言っている。

「母さんを施設に入れるなんて私はゼッタイにしないから」とか
「友達とランチにも行けない。あの子の食事介助はいつだって私なんだから」とか……。

何度も断っているうちに、いつのまにか
友達から遊びに行く誘いの電話がかかってこなくなった。

「あ~、楽しかったなぁ」という思いをしたのはいつのことだったか、思い出せない。

介護に関することはあなたがすべてやるのが当たり前だと、親戚中が考えている。
(夫婦介護の場合は別だけれど、とも)

太ってきた。体調が悪い。

最後に旅行に行ったのは、もう思い出せないほど昔のこと。

誰と何を話していても、いつのまにか介護の話になってしまう。

趣味がなくなってしまった。

朝まで通しで眠ることができない。

これには介護している人のニーズに応えるため、と
自分がストレスや心配事で眠れないため、と2つの理由が考えられますが、
後者は燃え尽き症候群の予兆かも。

明日、もう目を覚ましたくない、と考える。

介護をしていて、特に苦しい危機的状況のさなかでは、
こういう思いになることは誰にでもありますが
危機が過ぎ去ってもこんなふうに感じる時は
燃え尽きかけているのかも。

10 Signs of Caring Too Much
AARP from Caring.com


それぞれの項目の後に
「そうなるのは、あなたがこうだからです」
「そうならないために、こういうふうにしてみましょう」
という解説やアドバイスが書かれているのですが、

その部分を読んでいると、
かつて「育児相談」とかで「障害児の母親」の悩みを聞くと、
「それはお母さんがこうしないから子どもがこうなるのです」
「お母さんさえああすれば、子どもとはこうなるもの」と、
我が子のオムツさえ替えたこともなさそうなジイサンたちに
元校長だとかいうだけで高いところからエラソーな説教をされ、
「それはお母さんが悪い。もっと努力しなさい」というところに話を落とされて、
結局、相談する前よりもはるかに気分が悪くなって終わる……という
実に不愉快な体験を思い出してしまった。

ここでは介護体験がない人が書いているわけでも
高いところから訓を垂れているわけでもないのだろうけど、
“自己責任”で介護者を「責める」ようなトーンがほんのわずかに感じられるので
この際、はぶきました。

大事なのは
このチェックリストに当てはまったら、
「あ、自分、燃え尽きかけているのかな」と、
まずは立ち止まって考えてみることだと思う。

そこで、
燃え尽きに向かわないために自分はどうすべきだったかを
点検したり反省するんじゃなくて(そんなのはハッピーな状態に戻れてからでいい)

これ以上、燃え尽きに向かって進まないために
ちょっと介護の力と手を抜いてみること、
どこで抜けるか考えてみること。

私の好きな“身勝手な豚”さんは、
自分が介護の中で一番「イヤだ」と感じていることは何かを考えてみろ、と言っています。

そして、その一番イヤな部分で、ほんのちょっと手を抜いてみる。
ほんのちょっと手を抜いたらどうなるか、様子を見てみたらいい、
手を抜いても、大したことは起こらないはず。
そしたら、さらにもうちょっと抜いてみる。

そんなふうに、少しずつ手を抜いていこうね、と言っています。



それから“身勝手な豚”さんの、燃え尽きないための黄金律は Break, or you break

ブレイクして休憩・レスパイトするか、ブレイクしてあなたが壊れるか――。