「先生、ボクの全身の細胞が……」

その大半を非常勤講師としてであったにせよ、
大学を卒業して以来、2年前の春にリタイアするまで
30年以上「英語の先生」をやっていた間には、
「忘れ難い学生さん」や「学生さんの忘れ難いセリフ」との出会いがあれこれとあった。

その1つが
「ボクの全身の細胞が先生に謝れ、と……」。

福祉学部の男子学生さんだった。

福祉を志す人たちならば、と勝手な思い入れで
教養の英語のテキストに障害児・者に関連したものを選んで使っていた頃で、
(授業の中で、重症障害のある子どもを持つ母親としての思いも語ったりもしていた)

その日は脳性マヒの兄弟を持つ子どもたちの作文みたいなものを読んでいた。

その学生さんが指名された時にすぐに答えられないのを見た時に、
周りに座っていた仲間内の誰かがそのことをからかって
「わ~い、答えられないんでやんの」的な子どもっぽいチャチャを入れた。

彼がいつも一緒にいるグループはもともとそういう雰囲気の人たちの集まりで、
その日は授業の始まりから特にグループ全体のテンションが高い感じもあった。

で、そのテンションに煽られるように、
からかわれた彼は「だって、ボク、脳性マヒだからぁ」とふざけ、
グループのみんなは、それに他愛なく、あははは、とウケた。

彼が指名された直前の個所の訳文に「脳性マヒ」という言葉があったのが
何の考えもなく、ただ連想ゲームのように口から転がり出た、という感じだった。

机の間の通路を彼らグループの席の間近まで行き、
目の前でその場面に直面した私は、一瞬、激しく当惑してしまった。

たぶん私自身が障害のある子どもの親ではなかったら、
即座に強い口調で反応し“指導”しただろうと思う。

「これは、教師として、きちんと指導しなければならない発言だ」と
その瞬間に、くっきりと意識したことは覚えている。

でも、私は、たぶん自分自身が障害のある子どもの親であるために
その時、きっぱりとした強い態度に出ることができず、

我ながら情けないほどに弱々しい口調で
「そういうのはやめたほうがいいよ。自分の人格を貶めるよ」と
つぶやくように言ってみただけだった。

日ごろは「口でこの私に勝とうなんざ20年早いわ」とばかりに
強い口調と態度でセンセイを張っているくせに、なぜあの時だけ、くじけたんだろう……と
その後ずっと、あの瞬間の自分の心理をあれこれと分析してみるのだけど、
イマイチ自信を持って「こうだった」と言えるところまで掴めていない。

福祉の分野に進もうとする学生さんだから、
少しでも意識を持ってもらいたいと思って選んだテキストが、
却って、こういう軽はずみなジョークを招いてしまうという
全く予想外の展開に、ショックもあった。でも、それだけではなかった。

そんな他愛ない学生さんのジョークに、
まさか「傷ついた」わけではなかったと思うのだけど、
どこかにそれに非常に近い感覚があったんだろうか……。

小学校の先生をしている私の友人は
特に障害児・者について個人的な思い入れがあるわけでも何でもないけれど、
クラスの子ども達が「ガイジ」という言葉を使っているのを聞き、
その意味を知った時、体が震えるほどの憤りに捉えられて、
思わず、自分でもびっくりするほど激しい口調で怒鳴りつけてしまったという。

彼女のようにまっすぐに憤り、強く指導することができなかったのは、
そうした発言が私の中に呼び起すのが「許せないこと」に対する義憤ではなく、
それまでに「障害のある子どもの母親」として味わってきた個人的な感情だったからなんだろうか。

そんな自分の当事者性といきなり思いがけない形で直面して、
そのことに当惑し「停止」してしまっただけなのかもしれない。

ただ、どう対処していいか分からなかっただけなのかもしれないし、
その日、ただ単に疲れ気味で気力が低下していたのかもしれない。

その辺りの自分の心理は今もって判然としないのだけれど、

なにしろ、その時も、
机の間の通路を黒板まで戻りながら友人の話を思い出し、
今しがたの自分の言動に、たいそう割り切れない思いになった。

これは寝る時まで引きずってしまうかもしれないな……とも予感した。

とはいえ、
その後も授業を続けていると頭の中はあれこれとせわしない。
いつまでも拘泥している余裕などなくて、そのうちには意識から消えてしまった。

なので、授業を終えて、学生さんたちがわらわらと教室から出て行きはじめ、
私は私で黒板(実は白板)の上の方からびっしり書いたのを
背伸びして腕を振り、黒板消しでサクサク消している時に、
(この時の「あー、今日も終わったぞー」気分はとても良い。つい浸るのです)
教卓の向こうに誰かが寄ってきて背後から「先生」と声をかけられた時も、

いつもの出席日数の確認やら「単位ください」のお願いだろうと、
サクサクしながら「はいよ。なに~?」と、背中で軽く受けた。

「僕の出席日数どーなってますぅ?」とか
「あのねぇー、単位どーしても欲しいんっすよねー」とか
実際はわざわざ問うほどでもお願いするほどでもない、ダルい口調のしょーもない話で
なんとなく寄ってきては、しばしジャレていく人たちというのが何人かいて、
そういう人たちとは黒板(実は白板)を消しながら、また教卓の上を片づけながら、
相手から返ってくるのがダルい口調だけにテンポよくぽんぽん受けては返すのが常なので、
そのつもりでいたら、

「先生、こっちを向いてください。話があるんです」

かつてないパターンに驚いて手を止め、なにごとかと振り向いたら、
あの「だってボク、脳性まひだから」の学生さんが立っていた。

グループのみんなが出て行ったあとで一人残ったらしく、
日ごろヒャラヒャラした感じの子が、ついぞ見たことのないマジな顔で、
うつむきながら押し出すように言ったのは、

「授業の間中、ボクの全身の細胞が『先生に謝れ』って、ずっと言い続けていて……」

それから、ちょっと固まった後で
「さっきは、すみませんでしたっ」と、ぴょこんと頭を下げた。

あ……、その間あたしったら、コロッと忘れて授業してたんだ……。

それに気付くと、俄かに可哀そうになって、
「いや、悪気じゃないのは分かっているから」とかなんとか言い始めてみるのだけれど、
こっちの言葉は何も彼の耳には届いていかない様子。

それは彼にとっては、
私が彼の謝罪をどう受けるかという問題ではなく、まるで
自分で納得できる落とし前をつけられるかどうかを彼自身の問題として
全身の細胞から背負わされてしまったかのようで。

何を言っても、全身をこわばらせて頭を振っていたかと思うと、
もう一度、勢いよく頭を下げて「ほんと、すみませんでした」。
そう言うと、そそくさと部屋を出て行った。

車を運転して家に帰りながら、
すっかり忘れていたから慌てたとはいえ、
まるで何かを取りつくろうみたいに、あんなにあれこれ言おうとするんじゃなくて、
私も「ありがとう」と一言だけ、心をこめて言えばよかったのに……と悔やまれた。

次の週に教室に行ってみると、彼は
「えーっ。宿題なんか、なかったっすよー。それ先生の錯覚ぅ!」と
軽佻浮薄をウリにしているみたいなグループにカンペキに同化して
いつものようにオチャラけていた。

それを見たら、
「健全」という言葉がデカデカと頭に浮かび、
ま、いっか……と、それきりにしたので、

言いそびれてしまった「ありがとう」を、
ここで、あの時の学生さんに――。


あなたのおかげで、

ピーター・シンガーみたいな頭がいいだけの卑怯者や、
いつか、酒の席とはいえ、私が重症児の親であると知りつつ正面きって
「障害児は殺したっていい」と挑むように断言してみせ、
「どうしてですか?」と問うと、
「生きたって幸せになれないから」
「でも幸せって主観的なものですよね」
「少なくとも俺(大学教授)のような仕事をして、
こうして酒を飲み議論するようなシアワセな生活はできない」
と言い放ってくださった生命倫理学者の方のことなどを思う時に、

頭の良さや知識の多さや社会的地位や肩書と
人としての品(しな、と読んでください)の上下はまるきり別物だ、と
私は自信を持って信じることができる。

だから、本当に、ありがとう――。