カリフォルニア・ピザ

友人と久しぶりにランチでも食べにいこうという話になり
彼女の方が私よりも圧倒的に忙しいことは知っているので
「じゃぁ、場所と時間はお任せ」とメールを入れたら
とんでもない“町はずれ”を指定する電話がかかってきた。

意外なのは場所だけでなく、
その町はずれの「○○○で会おう」と言われたことで、

え? ○○○って……? あの店、まだあったの……?

まるで「奈良の“ドリームランド”がモロッコに場所を移してまだ営業している」と
いきなり誰かから聞かされた、みたいに、きょとん……としてしまう。

○○○は
私たちの思春期の終わり(もしくは20代の始め、なにしろ1970年代です)に
町に忽然と現れた、町で初めての、したがって唯一の、
本場! カリフォルニア・ピザ!! の店だった。

あの当時、ピザと言えば、このあたりでは、
今なら場末の喫茶店でしかお目にかかれない「ミックス・ピザ」のことだった。

そんな時代に、
ピザ職人(だったかどうかも今では定かではないが)の青い目・金髪のアメリカ人が
アシスタントとウェイターを兼ねた日本人のニイチャンと2人だけでやっている
小さな店のメニューは、ごくシンプルなピザが数種類と、あとは選べるトッピング――。

田舎の町では、ワクワクするほど本場!で、カリフォルニア!!で、
私たちは頻繁に○○○に出かけては、あつあつの焼きたてピザをモリモリと頬張った。

当時の私の定番は「マッシュルームとサラミのピザ」だった。

もちろん、そのうちには、ピザも大して珍しくもない食べ物になったし、
宅配店がどんどん出現したけど、○○○は何度か場所を変えながら繁盛し続けた。

何度目かに場所を変えた時に行ってみると、
アメリカ人が姿を消し(実際に青い目・金髪だったかも今では定かではない)
すっかりお馴染みの日本人のニイチャンが店主に昇格してピザを焼いていた。

主役だったアメリカ人がいなくなってみれば、
ニイチャンは結構グッド・ルッキングな優男だったし、
ピザの味だって別に落ちたりはしなかった。

とはいえ、私たちも、そろそろ
「ピザかぁ……蕎麦にする?」などと身体のニーズを感じる年齢に差し掛かり
○○○からは徐々に足が遠のいていった。

最後に○○○に行ったのは、たぶん、
米国留学中のルームメイト(日本人)が20年くらい前に遊びに来た時だったか?

その後、気が付いたら、いつのまにか、その場所から○○○はなくなっていて
あまり噂も聞かなくなったので(今にして思えば単にこっちが興味を失ったのだけど)、

だから、あたし、てっきり○○○はつぶれたんだとばかり思ってたよ……と言うと、

友人もそう思っていたけど、最近、
出産を控えて実家に戻っている娘(この子はミュウの翌日に生まれた)が連れて行ってくれて、
町はずれで健在だったことを知ったのだという。

ランチ時には女客でいっぱいだったよ、と言われて
内心「ピザかぁ……」と溜め息をつきつつ
「場所はお任せ」と言った手前、不服も言えずに出掛けてみたら、

前よりもはるかに アメリカン! カリフォルニアン! な内装の店は
以前は考えられないほどに広く、確かに女客がぎっしりで、
店内でも厨房でも沢山の店員さんがせわしなく立ち働いていた。

本当にアメリカのレストランみたいな匂いがすると思ったら、
カウンターにアメリカン・カントリーな顔つきのマフィンやパンが
無造作に並べられて甘い匂いを放っている。

私たちはピザの店でグラタン・セットを食べながら、
2時間ばかり、老親の介護をしている彼女の苦労話や
私が最近読んだ英国人の「“身勝手な豚”の介護ガイド」の話をし、

さらに追加注文したアイスクリームを
「これでまたコレステロールが……」と自虐を言い訳に、がっつり平らげながら、
同じ職場で働いた20代の頃の思い出話をしては笑いさんざめき、
気がつくと、店内には我々の他には1組しか残っていなかった。

その1組が席を立ったのを潮に我々も引き上げることにして、
レジでお金を払っていると、横手の厨房から「ありがとうございました」と声がした。

そちらに目を向けると、人気のなくなった薄暗い厨房に立っていたのは……

一瞬、それは“あのニイチャン”でありながら
同時に“あのニイチャン”ではない、奇妙な人……に見えた。

あるいは、”あのニイチャン”が
なにかのジョーダンで「ヘタクソな変装」をして現れた……みたいに見えた。

それは例えば、
若い頃の三浦友和が初めて老け役を演じる姿を見た時のような、
ちょっと妙なインパクト……?

でも、もちろん、そこにいるのは、
ホンモノの白髪交じりの頭に、あちこちにホンモノの皺が刻まれて
ちょっとゆるみ、くたびれた、ホンモノの初老のおじさんなのだった。

気付いた瞬間、すぐさま、その下から、
20年以上前に私たちと同じ30代だった、この人の顔が、
俄かに、思いがけない鮮明さで浮かび上がってきて、

あ、確かに私はこの人を知っている……と、奇妙な実感をもたらしてくれる。
白髪やシワを透かして見えてくるだけ、余計に懐かしい人として――。

実際、ほんの一瞬だけだけれど、
「うわぁ、元気だったぁ?」と駆け寄って肩の一つも叩きたいほどに
親しく懐かしいものが、胸を通り過ぎていった。

年齢相応に老いたその人に会釈だけして店を出ると、
バッグに財布をしまいながら友人が言った。

「ねぇ、あの人って、どこかで知り合いだったよね」

「あの人って、今の“あのニイチャン”のこと?」
店の中、厨房の辺りを指差して聞くと、

「うん。誰かの知り合いじゃなかったっけ?」

なんだ、この人も同じものを感じてたんだ……と思うと、
ちょっと、おかしかった。

ねぇ、たぶん、あの人は、“わたしたちの知り合い”なんじゃない?

同じ町の、同じ時代の空気を呼吸しながら、
それぞれに、いろんなことのあった人生を生きてきた、
私たちの若い頃からの“知り合い”なんだよ、きっと――。

なぜともなく、誰かから軽く励まされたような気分になって
これからまた老親の家に向かう友人の車に、笑顔で手を振った。

早くもお腹のあたりに胸やけの予感がうごき始めていた。