美しい文章 1 :井上ひさし「手鎖心中」

唐突ですが、

人の世の行く末にちっとも希望が持てないような話題ばかりを拾う自分のブログに
書いている本人がちょっと食傷気味になってきたので、

たまには理屈抜きに「美しいもの」を拾って、
ブログの空気の入れ替えでも……と。

ま、spitzibara本人の口直しみたいなエントリーです。


私は感性が鈍いのか、
例えば、小説を読んでいる途中に「ここは美しいなぁ」と感じ入って
読み進めるのを止めて、ある個所だけを何度か読み返す……といった経験は、
藤沢周平作品を除いては滅多にないのですが

珍しく、何度も読み返しては味わってみる……ということをした
井上ひさし「手鎖心中」(文春文庫)の中の6行ばかりを、

業平橋を渡ると、さほど遠くないところに黒い森が見える。黒い森の中に、秋の陽を浴びて、鈍く光るものがある。目をこらすと、それは社の甍だった。栄次郎が、あれは妙見の社でして、と言った。土手から黒い森まで一面に萩が咲きこぼれている。その萩の海に小径がうねりながら続き、先端は萩の中に没していた。時折り、風が立つと、萩の花は一度に揺れて、何億何千万の紅紫や白の小蝶が飛び立ち浮かれ戯れているかのように見える。萩にあやされて歩いているうちに、のどかな気分になってくる。
(p.27)


              ―――――

この春先に、たまに朝ウォーキングに行く公園の入り口で
一本だけ他と離れて門の傍に立っている背の高いハナミズキの木に
思わず見惚れたことがあった。

ハナミズキといえば白か薄紅色が通り相場なのに深い真紅だったので、
まずはその色に、おや? と目を引かれた。

あれは花びらではなくガクらしいけれど、
そのガクがちょうど開き始めたばかりといったところで、
まだ小さいために色が凝縮されて、そんな深く濃い色をしているみたいだった。

開き切ってしまえば、ちょっと物足りないほどに薄いピンクで
形もびろ~んと、どこか、しどけない感じさえ漂うのだけど、

開き初めたばかりの真紅のガクは
一枚一枚が小さく、まだ身を引き締め、ひねこびたように縮れている。

それが、
丸裸で、ただすっくと姿の良い木の、枝という枝に
無数の小さな真紅の蝶が止まって、それぞれに
羽をさんざめかして遊んでいるみたいに見えた。

木も蝶も、楽しそうで、美しかった。