「1つの流れにつながっていく 移植医療、死の自己決定と”無益な治療”」を書きました

一つの流れにつながっていく移植医療、死の自己決定と”無益な治療”

英語圏の医療に関するニュースを漠然とでも毎日眺めて何年か経つと、最初はバラバラに見えたニュースが、線や面に繋がったりクラスターを形作ったりして、全体から1つの大きな絵が浮かび上がってくると感じることがある。「絵が見える」などというと占いじみて恐縮だけれど、ここ数年の英語ニュースには大きくいって3つの流れが見える。

いずれも当欄で何度か紹介したもので、①移植医療における“臓器不足”解消への動き(09年11月号他)。②自殺幇助の合法化に向かう「死の自己決定権」議論の高まり(10年2月号他)。そして「自己決定権」の全く反対方向から、③患者や家族の決定権を否定し、彼らの意向に逆らっても病院や医師らに「無益な治療」の停止を決定する権利を認める「無益な治療」論とその法制化の動き(09年2月号他)。

それぞれは最初、てんでに勝手な方向に向かって伸びていく川のように見えた。やがて「もしや近づき始めている……?」と微妙な気配を感じていたら去年5月、英国の生命倫理学者、ジュリアン・サヴレスキュとドミニク・ウィルキンソンが“臓器不足”解消策として「臓器提供安楽死」を提唱する論文を書いた(10年8月号で紹介)。臓器提供も安楽死も自己決定によって認められるなら、生きたまま臓器を提供する方法での安楽死の自己決定も倫理的に許されると主張したのだ。①“臓器不足”解消の川と②自殺幇助合法化の川が合流しようとしている……。私はそう思った。

この論文では、既にベルギーで行われたとして「安楽死後臓器提供」(手術室での安楽死で心停止後に摘出)も提唱されているが、それを裏付けるように去年12月、ベルギー医師会のカンファレンスで05年から07年に実施された4例が報告された。4人は重症の神経障害がある43歳から50歳の患者だったという。

ベルギーは医師による自殺幇助が合法化されている数少ない国や州の1つ。08年に公式に報告された安楽死者705人の2割を占める神経筋肉障害の患者の臓器は「比較的高品質」であり、安楽死者は臓器不足解決に使える「臓器プール」だと、プレゼンを行った医師らは主張した。プロトコルも存在するという。

既に①の川と②の川は合流していたのだ。これから③「無益な治療」停止の法制化の川もそこに合流していくのでは……。その意味することの恐ろしさに怖気を催しつつ、私は考えた。が、まさか③の川がこんな“急流”になるとは思わなかった。

2月2日、麻酔学ジャーナルの電子版に掲載されたのは、上記サヴレスキュとウィルキンソンの論文“Knowing when to stop: futility in the ICU”。

抄録によると、無益概念を整理し、ICUで医療サイドが無益・不適切と判断した治療は、家族が反対した場合にも一方的に拒否できるよう、意思決定手順のモデルを提示するもの。昨年5月の論文と同じ著者が書いていること、ターゲットがICUであることから、この流れはやはり①臓器不足解消の川を意識し、そちらに向かっているのではないだろうか。

実際、①の川も流れを速めている。去年7月に米国神経学会から出された成人の脳死判定ガイドライン改定版の著者を含むニューヨークの研究者らが、去る12月にNeurology誌に気になる論文を発表した。

ニューヨークの臓器提供ネットワークが07年から09年にかけて手掛けた約1300人の脳死ドナー(うち小児82人)のデータを調べたところ、1回目の脳死判定後2度目までに脳幹機能回復の兆候を示した患者は皆無。逆にその間に死亡し、利用できたはずの臓器が使えなくなったケースは12%に及ぶ。最初の判定の後2回目までの時間が長くなるにつれ家族の同意率が下がり、提供拒否が増えている。これは、いたずらに家族が苦しめられているエビデンスで、2回目の判定までベッドをふさぎ無駄な医療費もかかる。何よりも家族を苦しめないために1歳を超えた患者の脳死判定は1回で十分――。

3本の川は、こうして一つの大きな流れを形作っていこうとしている。それが私に見えてきた、いわゆる“国際水準の医療”の大きな絵だ。

このうち②と③の2本については、日本ではそんな川があることすらロクに知られていないが、それは日本には存在しないからなのだろうか。それとも地下を流れているからなのだろうか。

「世界の介護と医療の情報を読む」
介護保険情報」2011年4月号 p.57


関連エントリーは、それぞれ
①の川については「科学とテクノのネオリベラリズム
②の川については「尊厳死
③の川については「無益な治療」の書庫に。