来月、生活書院から雑誌「支援」創刊

★「ニーズ」と眼差さず、「当事者主権」とまとめず、シノゴノ言いつつ、ジタバタやろう。新雑誌創刊!

「支援」編集委員会 =
井口高志・岡部耕典・土屋葉・出口泰靖・星加良司・三井さよ・山下幸子

「支援」編集委員会【編】
支援 Vol.1 
特集=「個別ニーズ」を超えて

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四六判並製  180頁  本体1500円  ISBN978-4-903690-71-1

なんの因果か抜き差しならぬ関わり合いをもち、取り乱しつつ関わり続けることを〈支援〉と立てる。そのリアリティに魅入られた者たちが、それぞれの〈現場〉から受けた負債を返済することのその営みのひとつとして、この雑誌は創刊される。

「ニーズ」と眼差さず、「当事者主権」とまとめず、シノゴノ言いつつ、ジタバタやろう。
そのことも(少し気恥かしげに)宣言しておきたい。────編集委員一同(発刊の辞より)

支援者・当事者・研究者がともに考え・書き・読み、制度や学による分断に対して領域を超えゆくことを目指す。やり方・ハウツーを示すのではなく、支援における悩み・葛藤・迷いをそのものとして提示し、そこから見える未来をしつこく問いつづける新雑誌創刊!
 
【目次】
発刊の辞

特 集 「個別ニーズ」を超えて
       かかわりのなかにある支援──「個別ニーズ」という視点を超えて 三井さよ
       日々続いていく支援 末永弘
       〈支援〉の根拠(エビデンス)? 岡部耕典
       「待つ人」になる──身体障害者の介助と時間 前田拓也
       「その人らしさ」と「ニーズ」──支援者としての体験を振り返る 伊藤智樹
       「その人らしさ」はどこにある? 出口泰靖

支援の現場を訪ねて 1
       み・らいず(大阪市) 山下幸子

支援の周辺(コラム) 1
       現場への遠近法──〈メディア〉表象のなかの認知症の本人の「思い」 井口高志

座談会 資格は必要か?──ケア・介護・介助と専門性
       土屋葉(司会)・山下幸子・星加良司・井口高志

支援の現場を訪ねて 2
       井戸端げんき(木更津市) 出口泰靖

支援の周辺(コラム) 2
       ティータイムにお茶を 土屋 葉

エッセイ
       支援の条件 熊谷晋一郎
       リハビリテーションQOL──主観/客観の裂け目から見える地平 田島明子
       健全者・介護者・介助者・支援者をめぐって 渡邉琢
       白熱教室?──当事者を講義に呼ぶことについて 井口高志

支援の周辺(コラム) 3
       「つなまよ」「つなとま」な人たちのケアや支援 出口泰靖

書 評
       今、ここに足をつけて……『知的障害者が入所施設ではなく地域で生きていくための本』(ピープルファースト東久留米著)柳誠四郎
       「関係的な問題」を解くということ……『関係の原像を描く』(篠原睦治編著)星加良司
       ありそうでなかった、税をめぐる原始的論考……『税を直す』(立岩真也・村上慎司・橋口昌治著)堅田


創刊までのいきさつは、生活書院代表Tさんのブログに↓

雑誌『支援』を創刊します
生活書院ブログ~今、大事なことを考えているんだ
2011年2月12日


準備が進んでいることは、ちょっと前からなんとなく知ってはいたけど、
詳細が出てきて、わぁ……! と、なにか弾ける感じと共に、ガッテン。

私自身、「海のいる風景」という本の中で
“ケアのココロ”というものがあるとしたら、
それは「気にかかること」「放っておけないこと」
「もちろん、職場の事情や自分の立場や諸々の事情はあるけれど、
にもかかわらず、気にかかって、どうにも放っておけない」ということ……と書いた。


「あたしは専門家だからここまでね。ハイさよなら」と言って済ませられないのは
「患者」や「対象者」や「利用者」や「入所者」ではない、「誰か」、「その人」と
関わり合ってしまったからで、そこには、それ以外の人との関わり合いと同じように
実際、「何の因果か」「抜き差しならぬ」としか言いようのないところがあり、

実際、私たち親子は、そういう支援に支えられて、ここまでやってくることができた。

もちろん、そんな関わり合いは互いに傷つけたり傷つけられたり、
支援する側される側、双方ともにくんずほぐれつ、惑乱したり「取り乱しつつ」でなければ
とうていやっていけないものでもあって、

この雑誌の理念の解説は、いちいち言い得て、絶妙だと唸る。……。

(そういえば、そんなふうに熱くコミットしてくれる人や、そういうことを許す余裕が
福祉の財源が細っていくにつれ、現場からどんどん失われていくような気もする……)


それに私もAshley事件や周辺のニュースを追いかけながら、
支援者と当事者との隔たりとか、
当事者と研究者との隔たりとか、
支援者と研究者との隔たりとか、

支援者でも福祉系の支援者と医療系の支援者との隔たりとか
医療系でも整形外科と小児科とか、発達小児と内分泌とか、

はたまた、そういうのとも別種ながら、
また格別の隔たりを感じる工学系とか。

もちろん、それらの背景にいる、いわゆる「ステークホルダー」といわれる人たちとの
さらに、また別格であろうと想像される隔たりとか、

当事者でも障害の特性による隔たりとか
親と本人の間の隔たりとか、家族の間の隔たりとか、
家族の中でも障害に対する捉え方による隔たりとか、

いろいろ溝も分断も大きく深いことを痛感しつつ、
その溝が絶望的に越えがたく思えることに歯がみする思いになることがある。

そうした「支援」の広がりの中に散在・混在する諸々に、
歯切れよく分かりやすく皮相的な議論ではなく、
シノゴノ、ジタバタやりながら、じっくりと腰を据えて取り組もうという……

――すごい雑誌ができる。