グローバル化が進む”代理母ツーリズム”

代理母と生殖子ドナーのグローバルなネットワークを作り
各国の法規制の網の目をくぐって安価に子どもを作らせてくれる
新たなビジネスが出現している。

Assembling the Global Baby
WSJ, December 10, 2010


冒頭、紹介されるのは、
ベルギーからギリシャに移住した女性。代理母をしている。お腹にいるのは
ヨーロッパのドナーの卵子と、依頼者のイタリア人夫婦の夫の精子でできた子ども。
夫と3人の子どもがあり、代理母の報酬は、末っ子を大学へ行かせる費用にするそうだ。

こうして世界中の生殖資源と技術を組み合わせて
パッケージ商品として売り出す企業が増えているらしい。

記事の中で紹介されている
医療ツーリズム企業、Planet Hospital の代理母サイトはこちら
(インドの新興代理母産業を取材したテレビ番組のビデオがあります。)

「リーズナブルな値段で経済的に子どもを持てるようセット・プランをご用意。
伝統的な家族、シングルの方、ゲイの方でもお引き受けします」


以下、記事と企業のサイトから、まとめてみると、


最もお得なプランは「インド・セット(India bundle)」。
その内容とは、

ドナー卵子が一つ。
4個の胚を4人の代理母に入れる技術代。
生んでくれる代理母の部屋と食事代。
親になる人たちが赤ちゃんを引き取りに来る時の車と運転手。

パナマでは、
双子だと5000ドルの追加料金。
子どもの性別を選びたければ6500ドルの追加。

2007年に生殖補助サービスを開始。
これまでに459の出産を取りまとめてきた。

去年は280人のクライアントが利用してくれて、
210人の赤ちゃんが生まれ、そのうち168人が双子だった。
今年は既に200人のクライアントと契約を結んでおり、
75人の代理母が妊娠中だ。

もちろん倫理問題を指摘する声は多い。
お馴染み倫理学者のArthur Caplanは
「多くの点で虐待の可能性が大きい」。

この会社ではなかったが、2008年に
日本の男性がインドの代理母に産んでもらった子どもを連れて帰れなくなったケースが
法律が曖昧だったり国によって食い違う1例として紹介されている。

だからこそ、
材料の調達と技術の調達先をグローバルに分散することで商売も成り立つ。

代理母への報酬についても、法律の網の目は粗い。
養子をとる際のような厳格なチェックもない。

Planet Hospital の代表者が気になるのは、
幼児性愛者がこのような手を使って子どもを持つとしたら? ということだとか。

自分の卵子と息子の精子で子どもがほしいと言って来た女性がいて、
そのケースは断ったという。

最終的に自国で生じる法律問題には予測がつかないところもあるので、
依頼者には弁護士を雇うようにアドバイスするという。

しかし、日本、スペイン、ドイツ、イタリア、フランスは代理母を禁じているし
英国も金銭目的の代理母は禁止。2005年には匿名ドナーも禁じた。
米国の州によっては金銭目的の代理母が禁止されているし、
最近ではゲイの養子縁組を認めないところも出てきて、需要は大きい。。

Planet Hospitalでは、新しくゲイの夫婦を対象にした代理母斡旋ページを作った。

あるゲイの夫婦が支払った料金35000ドルの内訳は
Planet Hospitalが3600ドル。
卵子のドナーに5000ドル。
旅費等で3000ドル。
代理母に8000ドル。
クリニックに1500ドル。

生まれるまでしばらくインドに滞在したいと言えば、
モダンなアパートまで世話してくれる。

インドは2002年に代理母を合法化。
安価な代理母卵子のドナーもわんさといる。
代理母の年齢制限と3回までというガイドラインがあるだけだ。

Planet Hospitalはインドに続いてギリシャへの進出が成功したことで
次はメキシコとウクライナへの進出を考えている。

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こちらは、インドの代理母ツーリズムを描いた映画 Made in India の予告編と、論評。

New doco about Indian surrogacy
BioEdge、January 28, 2011


Planet Hospitalのサイトにあるテレビ番組に登場した米国人夫婦のケースが
この映画でも取り上げられています。

夫の方が、
「インドの女性への搾取だと批判されるが、
元々の彼女らの生活水準を考えれば、我々が罪悪感を感じる必要はないと思う」
(実際の文言ではないかもしれませんが、なにしろ、そういう意味のことを)

それから企業側が
「これは、どちらにも利益のあるウィン・ウィンの契約なんです」

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そのウィン・ウィン、
既にある経済格差や数々の(特に女性に対する)人権侵害、搾取の構造という現実を
あくまでも追認する形でのウィン・ウィンですけどね……。

もう他にそれしかない、というところまで追い込んでおいて、その弱みに乗じて、
「自己責任」「自己選択」「個人の選択権」「プライバシー権」でやっていることだとか
当人にだって利益があるじゃないかと、それ以前の問題もそこに潜む差別も追認し、
それによって倫理問題を指摘する声を強引になぎ倒して
容認・導入される科学とテクノの応用がビジネス原理でシステム化されていく中で、
その差別はさらに強固に塗り固められていく……

インドの女性だから、ギリシャの女性だから、いいんだ……と。

“Ashley療法”も”救済者兄弟”も、まったく同じ構図――。

そういうことを繰り返しつつ、世の中の人々が、
既に搾取され、差別されている人を道具として利用したり、
弱い立場にある人の人権を踏みにじることに対して、
良心の呵責を感じること、心を痛めることをしなくなり、
人としての心の感度を低下させていく……

そして、世の中がどんどんと
圧倒的に強い立場の人たちが弱い立場の人たちを
自分の強欲・貪欲に無理やり奉仕させながら
「あなたたちのためだ」と狡猾に抵抗を封じる
虐待的な親のような場所になっていく……