「功利主義は採らない」……南アフリカの人工透析患者選別委員会の模索

人工透析を必要とする患者なら誰でも公費で受けられる制度を持っているのは
米国と西ヨーロッパと日本で、その他の国の腎臓病患者の多くは受けられないでいるという。

その状況をWHOが2008年にまとめた論文がこちら

とはいえ、米国でも人工透析が普及し始めた60年には
病院ごとに委員会を作って、こっそり患者を査定し、
人工透析を受けさせる患者を決めていた。

1962年にLIFE誌がシアトルの病院の患者査定基準をすっぱ抜き、
世論の非難がまきおこったことから
誰でもメディケアで透析が受けられる制度ができた。

(例のIHMEの所長Murray考案による医療評価基準DALYに
このシアトルの腎臓透析患者選別と同じ基準が含まれているとの批判が出ているのは
何やら興味深いところです。功利主義的切り捨て医療の話には、なぜ、こうもシアトルが絡む――?)

ところがProPublicaの最近の調査で
米国の人工透析制度は莫大なお金がかかっているにもかかわらず
なぜかその他先進国に比べて患者のアウトカムが良くない。

それはどこに問題があるのか、という調査シリーズをProPublicaは進行中なのですが、
その一環で、南アフリカの病院の選別委員会にProPublicaが同席を許され取材。

委員会や担当医師を取材して記事を書いたSheri Fink
例のハリケーン・カトリーナのメモリアル病院での安楽死事件の記事
ピューリッツァ賞を受賞したジャーナリスト。


南アフリカでは現在、
何らかの医療保険があったり、GDPの2倍に上る治療費を払える患者であっても
5人に4人は人工透析を受けることができないという。

医療制度の財政のひっ迫で、断られる患者がどんどん増えて
Tygerberg病院では8月には8割の患者を断り、
11月には20人のうち2人しか引き受けられなかった。

判断は病院に任されているが、
断るのは「死刑宣告」をする気分だと医師はいう。

Tygerberg病院ができたのはアパルトヘイトの時代で
建物は左右全く同じ作りのウイングとなっており、もちろん人種別だった。

1988年から2003年までに同病院で透析を受けた患者でみると
白人患者の方が非白人患者よりも認められる確率が4倍も高かった。
1994年にアパルトヘイトが終わった後も、病院の選別基準は変わらなかったようだ。

最近では民間セクターの透析施設が増えて
白人患者はそちらに移行しているので、このような病院には来なくなった。

しかし同時に政府は医療費削減策をとっているため
透析プログラムも縮小を余儀なくされており
それだけに公平と透明性を担保するガイドラインが必要となっている。

関係者らが集まって作ったこの地域のガイドラインこちら
今年2月24日付。(関係ないけど、英国で自殺幇助の起訴ガイドラインが出る前日……)

リンク文書のタイトルを見ると、腎臓病の末期の(end-stage)患者の選択基準となっている。
そこに至るまで受けさせてもらえないということなのか?

ガイドラインの最初の概要だけ読んでみると、患者は3つのカテゴリーに分類される。
受けられる人。資源があれば受けられる人。受けられない人。
社会ファクターと医療ファクターを合わせ考えるが特に後者を重視するという。
かつての、社会にとっての当該患者の有益性を問う功利主義の選別は行わない。

で、ProPublicaが実際に覗いてみた委員会では
患者のスライドが映されて、他職種の担当者が次々に患者について説明する。

読み書きできます。アフリカーナもXhosaも話せます。
タバコを吸ったことも薬に手を出したこともありません。
酒を飲むのは週末に妻とのみ。大した量じゃありません。
知的障害も精神障害もありません。

こういうのはポイントになる。

バスタブも台所のシンクもトイレもある持ち家です。

これは大きなポイント。
家で安全な透析が可能な患者だということになるから。

仕事は農場労働者で給料は月175から220ドル程度。
犯罪歴はなく、33歳の妻と4,9、13歳の3人の子どもがいます。

これらは、あまりカウントされない。

アパルトヘイトの文化の根強い国の“犯罪歴”は、背景にいろいろイワクがある。
子どもがいなくても、他の人の子育ての手伝いはできる。

あまりカウントされなくても、医師や看護師やソーシャルワーカーらが
患者がどういう人かを、ともかく語っていきながら、委員会は
かつてのような功利主義の選別にならないように気をつける。
つい、これまでの習慣で、そういう判断に傾いてしまうのが人間だから。

医療ファクターでは特に腎臓移植を受ける体力があることを重視する。
移植で透析不要になれば、その分、透析を受けられる人が一人増やせるからだ。

どれほど誠実な闘病姿勢か、ということも
主治医の報告で問われるところ。

この委員会がカテゴリー3に分類し透析を受けられないと決まった
一家の大黒柱でもあり幼い子供の母でもある40代女性の場合、
決定的なマイナス・ポイントは肥満だった。
この女性はホスピスに紹介された。

決定とその理由については、患者と家族に十分に説明される。
人種や社会経済的な理由で却下されたのではないと分かってもらわなければならないし、
すべてを明らかにすることが選別の倫理性には不可欠だ。

Life and Death Choices as South Africans Ration Dialysis Care
By Sheri Fink,
ProPublica, December 15, 2010/12/17


人種差別の根深い国だからこそ功利主義はとらないということの意味が大きいのだということが
記事の全体から感じられてくる。

だた、功利主義はとらないといっても、委員会での会話を読んでいると、
実際にはくっきり線引きするのは難しいような気がした。

知的障害や精神障害の有無が問題になっているのはどういう理由なのか、
知りたかったのだけど、それは書かれていなかった(と思う)。


            ―――――――


12月8日にNHKクローズアップ現代
「ある少女の選択~“延命”生と死のはざまで~」という番組を放送した。

番組のサイトでは以下のように解説されている。

腎臓の「人工透析」30万人。口ではなくチューブで胃から栄養をとる「胃ろう(経管栄養)」40万人。そして、人工呼吸器の使用者3万人。「延命治療」の発達で、重い病気や障害があっても、生きられる命が増えている。しかしその一方、「延命治療」は必ずしも患者の「生」を豊かなものにしていないのではないかという疑問や葛藤が、患者や家族・医師たちの間に広がりつつあ る。田嶋華子さん(享年18)は、8歳で心臓移植。さらに15歳で人工呼吸器を装着し、声も失った。『これ以上の「延命治療」は受けたくない』と家族と葛 藤を繰り返した華子さん。自宅療養を選び、「人工透析」を拒否して、9月、肺炎をこじらせて亡くなった。華子さんの闘病を1年にわたって記録。「延命」と は何か。「生きる」こととは何か。問いを繰り返しながら亡くなった華子さんと、その葛藤を見つめた家族・医師たちを通じて、医療の進歩が投げかける問いと 向き合いたい。


NHKは、なぜ華子さんの選択を描く番組の解説冒頭に、
人工透析、胃ろう、人工呼吸器を使っている患者の人数を並べたのだろう。

それぞれ30万人、40万人、3万人は、
すべて「延命治療」を受けている人たちだとNHKは言うのだろうか。

人工透析、胃ろう、人工呼吸器のおかげで
重い病気や障害があっても、生きることができている人は、みんな、
のべ73万人の全員が「延命治療」を受けているのだと
NHKは本気で考えているのだろうか。

「重い病気や障害があっても、生きられること」が
いつから「延命」になったのか、NHKに聞きたい。