故Gunther医師が07年に成長抑制を語る“お宝映像”を発見

ここしばらく、新たに始まったことが懸念される成長抑制キャンペーンに関連して
ネットであれこれ検索することが多くなって、おかげで
別件でも面白いものを見つけたりしているのだけれど、
(例えばTruog「心臓死後臓器提供の倫理問題」講演映像は8日の補遺に)

なんと当ブログ本家筋のAshley事件に関する担当医講演のビデオを発見した。
しかもDiekema医師だけでなく、故Gunther医師が同事件を解説しているのだから、
これは超レアものの“お宝”映像――。

Diekemaのぬるぬる・つるつるした能弁はもう散々見たし聴いたし
文字報道でコメントを読んでも声が聞こえてくるほどなのだけど、
Ashleyの内分泌医だったGunther医師の発言は07年1月当初に
ぱらぱらと文字報道に出てきていただけだったので、
あの論争から4年も経った昨日、この映像で初めて拝顔した。

Attenuating Growth in Children with Profound Developmental Disability
9.28.06
Commentator: Jeffrey Botkin MD, MPH, University of Utah
Seattle Children’s Case Presenters:
Doug Diekema MD, MPH, Bioethics;
Dan Gunther MD, Endocrinology


シアトル子ども病院が定期にやっている
Grand Rounds という研修プログラムの一環で行われたプレゼン。

すごく不可解なのは、日付が06年9月28日となっていること。
それでは当初のJAMAの論文発表より前に行われたことになってしまうから
そんなことは、あり得ない。

ざっと聴いてみたところ
“物議”や「メディアの注目」「ラリー・キング・ライブ」が言及されていることや
コメンテーターのBotkinが「ここ2カ月の親のブログの訪問数」と発言していることから
ラリー・キング・ライブ」がA事件を特集した07年1月12日以降、2月末までのことと思われます。

だいたいの流れとしては、
まず冒頭にWilfondが出てきて、ちょっとしゃべり、流れを説明する。
その後、Diekemaが出てきて、ちょっとしゃべり、Guntherに交代。
Guntherが10分ほどAshleyケースについて簡単に解説。
その後、コメンテーターのBotkinが出てきて、延々としゃべり、
最後に会場との質疑応答。

正直、私は普通の速度でペラペラしゃべられるとお手上げになってしまうし
質疑の途中でWilfondが話を無理やり一般論に捻じ曲げたところで力尽きたので、
そこまでで部分的に聴き取れたところだけからだけど、
いくつか興味深い点を以下に。

①まず、冒頭で出てきたWilfondが、
「これからプレゼンを行うAshley事件については、
retrospectively(起きたことを事後に振り返って)に扱うのではなく
あくまでも本件が提起する倫理問題を考えるという扱い方をする」のだと
会場の皆さんに向けて念を押している。

(Ashleyケースに関しては病院内に批判があったことは明らかになっている。
もしかしたら、そういう人たちに向けた牽制だったのかもしれない)

さらに、Botkinまでがコメントの中で
「Ashleyケースそのものはretrospectivelyには検討しない。
あの症例ではすべてが問題なく行われたのだから、
我々が検討すべきは、あくまでもこの症例が提起する問題」と
わざわざ断っている。

あの論争のさなかに、Aケースではすべてがまっとうにおこなわれたと
簡単に言ってのけることには、どう考えても作為がある。

子ども病院は07年5月に行われた成長抑制シンポでも
Ashleyの個別ケースはここでは問題にしないのだと何度も牽制し
パネリストらから「そうはいかない」と反論されていたことを思い出す。

ちなみにBotkinは、「前年のGunther&Diekema論文では
すばらしい倫理分析が行われている」とも語った。

後に、医学論文らしからぬ不透明さ(opaqueness)をLantosからズバリと指摘される、
あの論理性というものが全く欠落した論文を、あの論争時に褒めたのは
これでNorman Fost(Scientific Americanのメール討論で)に続いて2人目。

なおBotkinは、去年、米国小児科学会倫理委員会が出した
水分と栄養の差し控えまたは中止ガイドラインの共著者でも。
(主著者はDiekema)

②Diekemaは「本症例が提起する多様な多くの問題」を語った際に、
一番最初に pesonhood を挙げた。

一度ならず繰り返してもいるので、
A事件でのパーソン論の役割の大きさを認識していたし、
もしくは認識させたかったのだろう、と思われる。

09年1月の成長抑制WGの“妥協点”を解説するシンポでDiekemaは
自分たちはPeter Singerのようなパーソン論の立場には立たないと明言しているけれど、

その後に多くの批判が出たことから、あの時あの場ではそう言う方が有利だと判断したに過ぎず、
07年当初には彼は“Ashley療法”論争のキモがパーソン論であることを認識していたし、
こういう形でさりげなく問いかけてもいた、つまり少なくとも医療の世界では
Ashley事件でのパーソン論に一定の賛同が得られると考えていたのでは……?

③Guntherはエストロゲンによる成長抑制のリスクとして、以下の3点を挙げた。

血栓症
成人女性が避妊ピルを飲むと、飲まない人に比べて
リスクは2~3倍になると言われている。
子どもでは身体が若い分、それほどでもないはず。
ただし重症児は寝たきりなので、高くなるとも言える。

・(子宮からの)大量出血

・乳房の急激な、苦痛を伴う可能性のある発達

ということは、
今現在、子宮摘出とも乳房摘出とも切り離して提唱されている
エストロゲンの成長抑制療法は、いつ何時、
副作用の予防手段としてそれら2つの手術と繋がり、
Ashley父が望む通りの“Ashley療法”3点セットになっても不思議ではない?

④Guntherは症例解説の中で医学用語でもないbreast bud(乳房芽)を用いたが
Botkinの方は平気でmastectomy(乳房摘出)を繰り返し、
DiekemaとGuntherのミスリードの努力を台無しにしていた。

⑤Botkinは、コメントの冒頭で
Ashley事件には情緒的な反応をする人が多いと述べ、
しかし倫理学者はその情緒的な反応が起こる理由を掘り下げて考えることが仕事なのだから
そうした反応は倫理問題を考える際には重要なのだと語りつつ、

話が進むと、
「我々の本能的な嫌悪感」にはちゃんと耳を傾けなければならないとの
有名なLeon Kassの主張を取り上げて、しかし、あれはクローン人間についての話で、
成長抑制に当てはまらない、と線引きをした。

さらにPolitically incorrect enterpriseという表現を用いて、
批判している人たちは政治的な正しさを問題にしているだけだとの
間接的な批判を匂わせた。

最終的にBotkinがまとめた問題点は

・間接的な利益または将来の利益のために子どもの体に手を加えることは正当化されるか?
・在宅ケアのメリットが過大に評価されていないか?
・社会の都合や望みに応じて人の体に手を加える行為は、社会の構成員への脅威となるか?

⑥あまり意味のない、ただの印象だけど、
Guntherは、ちょっと屈折のありそうな人物ではあった。

「今日は倫理学者でもある医師が多いので、区別するために白衣を着てきた」とか、
マイクがやたら雑音を拾い始めて不調になると「ボクがやってるわけじゃないですよ」とか
「これはやっぱりボクのせい?」とか。

映像を見ながら、この人が数ヵ月後に自宅の車の中で自殺したのだと考えると
なんともいえない気分だった。