パレツキー「沈黙の時代に書くということ」


正直、期待はずれだった。
やっぱり小説家は小説で表現するのが仕事なんだなぁ……と
改めて痛感させられる散漫な容だったけど、

パレツキーさんにしてみれば、
小説では表現しきれないことを言わないでいられない切迫した気持ちになったんだな……
というのは、ブッシュがブイブイ言わしていた当時の状況を考えれば分かる気がする。

原書が書かれたのは06年、刊行が07年なので
Obama大統領の誕生をはさんで今、翻訳を読むと
多少のギャップを感じるのもやむを得ないのかもしれない。

ただ、Obama政権への失望で
(その過剰な期待と過剰な失望はどちらも私には理不尽に思えるのだけど)、
06年当時以上に極端に右に触れそうな現在の米国の不穏な空気を思うと、
逆に今読むのもタイムリーなのかも……と考えてしまうことが、けっこう恐ろしかったりもする。

例によって、全く個人的に(特にフェミニズムの視点から)メモしておきたい個所を以下に。

この(レーガンと二人のブッシュによる中絶反対の)恐怖のキャンペーンは絶大な効果をあげた。中絶医の大部分が中絶手術をやめてしまった。十三パーセントを覗くアメリカの郡のすべてで中絶が禁止されるか、姿を消すかした。中絶手術の方法を教えるメディカル・スクールは十パーセントにも満たない。わたしたちはこのアメリカで、存在しない医療処置に対して法的権利をもつという状態に近づきつつある。貧しい女性と未成年者が社会でいちばんの弱者なので、合衆国議会は悪名高きハイド修正条項を使って早めに動き、貧しい女性の中絶費用を公費から出すことを禁じた。女性の中絶費用をメディケイドで負担する州はほんのひと握りだ(ニューヨーク州は負担しているが、わたしの住んでいるイリノイ州はしていない)。また、大部分の州が未成年の中絶を禁じている。しかし、男性の性行動に注意を向ける州はどこにもない。
(P.121)

宗教界の右派は、女性が一九七0年以降獲得してきたすべてのものを害悪とみなしている。女性に対する怒りの最大の矛先は生殖の権利に向けられている。これら女嫌いの連中は中絶との戦いに勝利を収めたことで得意満面になり、現在は、避妊ピルに反対する運動をくりひろげている。四分の一の州がすでに、薬剤師にピルの調剤を拒否する権利を与える法律を制定した。あとの州のうち二十ほどは考慮中である。“信教の自由”という名のもとに、全国レベルでこの法律が提議されたときには、リベラルで知られるジョン・ケリー上院議員までがやむなく署名しなくてはならなかった。
(p.123)

最近のわたしたちアメリカ人は奇妙な心理状態にある。制約のない資本市場を望んでいる。車の制限速度も、銃規制も、税金も、個人の自由を不当に侵害するものだと思っている。しかし、女性のセクシュアリティは是が非でも取り締まる必要があると感じている。
(p.124)

政府が「われわれはアフリカのエイズと戦う」といっておきながら、「コンドームを流通させてはならない。話題にしてもならない」というとき、私は自分が『一九八四年』の世界にいることを知る。
 合衆国大統領が、生命の尊厳を重んじるという理由から、胎児の幹細胞の使用を研究者に許可する法案に対して拒否権を行使し、中絶と避妊を違法とすべく全力を尽くしていながら、その一方で、自国政府による拷問を黙認し、中東で毎日のように多数の男女と子どもが死んでいくのをながめ、さらには、帰還兵やホームレスの子どもたちのための医療費負担を拒否するとき、わたしは自分がたぶん現代の世界にいるのだろうと思う。
(p.210)


その他、パレツキーが思春期・大学時代を過ごしたのはカンザス州ロレンス。
私にとっても、28歳の1年間を過ごした町なので、懐かしかった。
地平線に囲まれたみたいな、の~んびりした田舎町――。

私はパレツキー作品を読んだことがなかったのだけど、
フェミニズムと弱者への視点の確かなハードボイルドというのも興味をそそられて、
売れ筋のPBを2冊ばかりオーダーしてみた。

Bleeding Kansasというタイトルのものもあったので、
ハマったら、そのうち読んでみよう。