ハリケーン・カトリーナでの“避難死”とその周辺

2006年10月号の「介護保険情報」で、連載「世界の介護と医療の情報を読む」に
ハリケーンカトリーナでの高齢者の”避難死”とその周辺について書きました。

メモリアル病院での“安楽死”事件について書いたついでに、以下に。


ハリケーンカトリーナ 被害から1年


移送バス待ち、車いす

こんなに虚弱な母親を動かすのは酷だ。避難はするまい──。

寝たきりで胃ろうの91歳の母親を前に、息子はそう判断した。ハリケーンが刻々と近づく去年、8月28日のことだ。ニューオーリンズ市からは避難命令が出ていたが、親子は自宅でハリケーンをしのいだ。しかし、市の堤防が決壊。水が玄関ドアに達した30日、2人は警察によって無理やり避難させられる。ところが行けと指示されたコンベンションセンターにたどり着いても、避難民があふれるセンターには食料も水も医薬品もなかった。

外で移送のバスを待つように言われた親子は、炎天下でバスを待った。2時間で来るはずのバスは、その後24時間近く来なかった。やがて母親は車いすに座ったまま息絶える。

ゆさぶり、胸を押しては、生き返らせようと必死に母親を呼び続けた息子は、バスが何台も来た後も4日間遺体に寄り沿い、そばを離れようとしなかった。遺体を覆ってあげるようにと誰かがポンチョをくれた。とうとう銃を突きつけられて離れろと命じられた時、母親の名前と自分の携帯電話の番号を書いた紙を遺体のポケットにしのばせた。それでも、その後母親の遺体が運ばれた先を見つけるのに2カ月かかったという。

 建物の外で車いすにぐったりと座ったまま亡くなった老母の姿は、当時全世界に報道されてハリケーン被害の象徴となった。

が、1年近く経ったこの日、市と州を訴えた息子は言う。「母はハリケーンの象徴などではない。怠慢の象徴なのです」(AP/8月17日)
 
ハリケーンより過酷な避難

当時、多くの高齢者・病人・障害者は他の州の施設に移るため、ルイ・アームストロングニューオーリンズ国際空港に集められた。9月2日の様子をニューヨークタイムズが生々しく伝えている。

「兵士から水をもらう人がいる。ストレッチャーに横たわり痙攣している人もいる。黙って唇を噛み泡を吹いている精神病患者。患者がひっきりなしに運び込まれてくるドアから逆にさまよい出ようとする人。死んでいく人たち。デルタ航空のカウンターのそばでは、車いすの遺体に青い毛布がかけてあった」(05年9月3日)。この記事の中でも、空港までの搬送途上で亡くなった人がいたことが既に触れられていた。

ヒューストン・クロニクル紙には、テキサス州ルイジアナ州を中心に高齢者の避難状況・被害状況をまとめた記事がある(05年10月10日、11月28日)。

それによると、両州の400のナーシングホームから3万人以上がバス、貨物飛行機、ヘリコプターで州外の施設に運ばれたが、水・食料・医薬品の不足、付き添い職員の不足、エアコンのない長時間の輸送、長時間の座位の負担など、避難そのものの過酷さから体調を崩したり命を落とした高齢者も少なくなかった。テキサス州のナーシングホーム入所者の収容先は少なくとも10州に散らばっているが、この段階では誰がどこに収容されたのか、まだ半数も把握されていない。

同紙の独自の調査によると、避難計画がなかったナーシングホームが多数で、あっても不十分な内容のまま放置されていた。また全体としてナーシングホームの避難を統括指揮する動きがなかったことも、避難の混乱に拍車をかけたとしている。

記事では「避難死evacuation death」という言葉を使い、「シェルターで、路上で、州外で起こったナーシングホームの外での避難死については、報告されない可能性がある」と書いている。
 
保健・福祉省の調査報告

こうした避難による高齢者被害を裏付ける報告書を、先ごろ保健・福祉省総査察官がまとめた。メキシコ湾岸5州で連邦政府と州政府の規定を満たす避難計画を整備していた20ナーシングホームを調査したところ、ナーシングホームから避難した高齢者の方が、避難しなかった人よりも苦しんだという結果が出た。「高齢者にとって避難は肉体的にも精神的にもストレスが大きく、結果として避難が必ずしも最善の行動ではない」と20のホーム全ての責任者が声をそろえたそうだ。

報告によると、避難で最も苦労したのはハリケーンの上陸前に入所者を避難させた施設であり、最も深刻な問題は搬送だった。契約していたバスは来ず、あちこちから借り集めた車両にはエアコンがなかったり、途中で故障した。予定外に長時間となった搬送で食料と水は不足し、薬や酸素、排泄介助用品は持って出ていなかった。付き添う職員も充分ではない中、入所者には脱水、血圧の上昇、尿路感染などが起こった。

報告書は、メディケア・メディケイドの給付を受けるナーシングホームはただ避難計画があるというだけではなく、25の重要事項について内容を細かく整備しておく必要があると述べ、またナーシングホームに州や各地域の災害対策部局と密接な連携をとるよう勧告している(The New York Times 8月18日)。

自衛手段を講じる施設

ナーシングホームを含むニューオーリンズ医療機関の現状については、ロイター通信が報告している(8月30日)。それによると、いまだに3分の2が閉鎖状態にあるが、再開した施設ではバックアップの自家発電を増やしたり、新たに井戸を掘るなど自助努力を行う一方で、他の施設に避難者の受け入れを依頼したり、入所者・患者を空輸する必要に備えてヘリや飛行機を契約するといった手段を講じているようだ。

しかし、どこの施設でも去年の記憶は生々しい。入所者の重症化も進む。「連邦政府は早めに避難しろというが、州からは動かない方がいいと言われる」と、現場の思いは複雑だ。

費用補償問題の指摘も

一方、Medical News TODAY というサイトは、今年2月4日の記事で、ニューオーリンズの8割のナーシングホームが入所者の避難に積極的でなかった理由は、万が一ハリケーンが逸れた場合に避難費用の払い戻しが受けられない恐れがあったためだと指摘。同時に、無保険者を含む被害者・避難者を受け入れ、治療・ケアしたものの、費用補償のメドがはっきりしない病院の困惑を報じている。

また、一見すると直接の関係はなさそうだけれども、一緒に読むとちょっと気になる記事がSENIOR JOURNAL.COM(9月5日)にある。去年の保険会社の調査で民間のナーシングホームの入所費が前年より5・7%上がり、1日平均200ドル以上となった。このままではメディケア・メディケイドへの負担が大きいので、個々人で介護保険に加入するよう国民に働きかけるべく、議会が誘導策を考え始めたという。

この記事を読んだ後、もう一度ハリケーン関係の記事を読み返すと、保健・福祉省の調査報告書、トーンがどこか「他人事」めいてはいないか……。そして、その後さらにMedical News TODAYの記事に戻ると、やっぱり思う。だいじょうぶかいな……。

「医療費も介護費用も個人の自己責任。災害時は施設の自己責任」のままでは、冒頭の車いす死を「行政の怠慢の象徴」と言われても、そりゃ、仕方ないというものじゃなかろうか。

介護保険情報」2006年10月号 p.94-95

なお、当時、メモリアル病院の安楽死事件と並んでニュースになっていたのが、
ナーシング・ホームの職員が寝たきりの高齢者を多数、置き去りにして溺死させたという事件でした。
経営者夫婦に有罪判決(たぶん過失致死?)が出たと記憶しています。