「障害児の涎は薬で抑えましょう」というFDAの“Ashley療法”的発想

神経障害のために飲み込みに問題があり、涎を垂らしてしまう
3歳から16歳の発達障害児を対象に、米国FDAがCuvposa という薬を認可した。

唾液の生成を抑制する。

元々は何十年も前に消化器官の潰瘍のある患者に認可されたもの。
それが涎を垂らす発達障害児の治療薬として適用外で使われてきたが
認可された規定とは別の量で処方されてきた。

2001年にFDAは委員会を開いて
倫理的かつ科学的な治験による、発達障害のある子供たちの涎防止薬の開発を検討した。
その会議の勧告を受け、安全性や効果に関する情報を点検するプロセスを経たという。

この度の認可によって、FDAの当該責任者は、
これら障害児のニーズに見合った治療薬としての安全性と効果を保障し、
また涎の治療薬としての適正な処方量も規定した、と。

このニュース、最後まで読んで、最後の2行で、びっくりした。
Cuvposa Oral Solution というこの薬、売り出しているのは日本の塩野義製薬

簡単だけど、日本語のニュースにもなっていた。こちら



まず、すごく単純に疑問に思うのは、なんで「3歳から16歳」?

次に、
唾液の生成を抑えて、口の中の唾液を減らすということは、
咀嚼とか口腔衛生の観点から、本人の利益にはならない、
むしろ医学的にはマイナスがあるんじゃないか、と思う。

薬を使う以上、副作用だって、ないわけじゃない。

それから、
the needs of this population という表現が、ものすごく引っかかる。

よだれが垂れることで困るとしたら、
口の周辺の皮膚がかぶれること、
服が濡れたら気持ち悪い、冬場なら風邪をひく、
などがあるかもしれないけど、

それらは適切なケアによって十分に防げることだし

障害のある子供たち自身は、それほど涎に困っていたり
少々の副作用はあっても、とめてほしいと考えているんだろうか。

つまり、それは本当に「彼らのニーズ」なんだろうか。

それよりも、見た目の悪さとか、
そのための周囲の嫌悪感を減らそうとか、
介護の手間をはしょろうという「周囲の人間のニーズ」なんじゃないのだろうか。

そのために「障害のために涎が垂れること」を医療で「治療」する対象とするのは
まさしく“Ashley療法”的な発想だ。

Diekema的に言うなら、恐らく、
唾液が少なくなることのデメリットも副作用リスクも確かにあるが、
見た目がさっぱりして周辺に嫌悪感を持たれず、障害のスティグマがそれで減じて
好感を持って遇してもらえるなら、その利益の方がデメリットを上回る……
……という理屈になるのだろう。

「過大に言われる社会的利益」 vs 「過少に言われる医学的な害とリスク」こそ
まさに“Ashley療法”的詭弁による最善の利益論――。

つまり「QOLの向上」による、健康上の必要のない医療介入の正当化論――。

(私がAshley事件のマスターマインドだと考えている Norman Fost は
確かFDAの委員をやっていたのだけど、まさか、その2001年の会議にいたりして?

2001年と言えば、Ashleyケースよりも3年も前。
その頃から考え方としてはあったということか……)


実は、2007年当初のAshley療法論争の際に
障害学の学者で障害当事者である Tom Shakespeareが“Ashley療法”を批判して、

こんな論法が通用するなら、
他の障害児・者や一般の人にも当てはまるではないか、と書いた際に、
こんなことを書いていました。

例えば、
歯軋りがうるさい人からは奥歯を抜けばいいし、

多動の子どもには、頭にスイッチを仕込んで
手に負えなくなったらスイッチでちょっと静かになってもらう。
そうすれば家族みんながテレビの前で静かな夜を過ごせるわけだし。

よだれも見た目が悪いし服が汚れるから、
バイオ工学でちょちょっと手を加えてカテーテルを通し、
お口の余分な水分は涎バッグへ。


”Ashley療法”は、重症児にとどまらず、成長抑制にとどまらず、
こうして広く障害児・者一般に適用されていくのでしょうか。