「障害児の涎は薬で抑えましょう」というFDAの“Ashley療法”的発想
唾液の生成を抑制する。
簡単だけど、日本語のニュースにもなっていた。こちら。
まず、すごく単純に疑問に思うのは、なんで「3歳から16歳」?
次に、
唾液の生成を抑えて、口の中の唾液を減らすということは、
咀嚼とか口腔衛生の観点から、本人の利益にはならない、
むしろ医学的にはマイナスがあるんじゃないか、と思う。
唾液の生成を抑えて、口の中の唾液を減らすということは、
咀嚼とか口腔衛生の観点から、本人の利益にはならない、
むしろ医学的にはマイナスがあるんじゃないか、と思う。
薬を使う以上、副作用だって、ないわけじゃない。
それから、
the needs of this population という表現が、ものすごく引っかかる。
the needs of this population という表現が、ものすごく引っかかる。
よだれが垂れることで困るとしたら、
口の周辺の皮膚がかぶれること、
服が濡れたら気持ち悪い、冬場なら風邪をひく、
などがあるかもしれないけど、
口の周辺の皮膚がかぶれること、
服が濡れたら気持ち悪い、冬場なら風邪をひく、
などがあるかもしれないけど、
それらは適切なケアによって十分に防げることだし
障害のある子供たち自身は、それほど涎に困っていたり
少々の副作用はあっても、とめてほしいと考えているんだろうか。
少々の副作用はあっても、とめてほしいと考えているんだろうか。
つまり、それは本当に「彼らのニーズ」なんだろうか。
それよりも、見た目の悪さとか、
そのための周囲の嫌悪感を減らそうとか、
介護の手間をはしょろうという「周囲の人間のニーズ」なんじゃないのだろうか。
そのための周囲の嫌悪感を減らそうとか、
介護の手間をはしょろうという「周囲の人間のニーズ」なんじゃないのだろうか。
そのために「障害のために涎が垂れること」を医療で「治療」する対象とするのは
まさしく“Ashley療法”的な発想だ。
まさしく“Ashley療法”的な発想だ。
Diekema的に言うなら、恐らく、
唾液が少なくなることのデメリットも副作用リスクも確かにあるが、
見た目がさっぱりして周辺に嫌悪感を持たれず、障害のスティグマがそれで減じて
好感を持って遇してもらえるなら、その利益の方がデメリットを上回る……
……という理屈になるのだろう。
唾液が少なくなることのデメリットも副作用リスクも確かにあるが、
見た目がさっぱりして周辺に嫌悪感を持たれず、障害のスティグマがそれで減じて
好感を持って遇してもらえるなら、その利益の方がデメリットを上回る……
……という理屈になるのだろう。
「過大に言われる社会的利益」 vs 「過少に言われる医学的な害とリスク」こそ
まさに“Ashley療法”的詭弁による最善の利益論――。
まさに“Ashley療法”的詭弁による最善の利益論――。
つまり「QOLの向上」による、健康上の必要のない医療介入の正当化論――。
2001年と言えば、Ashleyケースよりも3年も前。
その頃から考え方としてはあったということか……)
その頃から考え方としてはあったということか……)
こんな論法が通用するなら、
他の障害児・者や一般の人にも当てはまるではないか、と書いた際に、
こんなことを書いていました。
他の障害児・者や一般の人にも当てはまるではないか、と書いた際に、
こんなことを書いていました。
例えば、
歯軋りがうるさい人からは奥歯を抜けばいいし、
多動の子どもには、頭にスイッチを仕込んで
手に負えなくなったらスイッチでちょっと静かになってもらう。
そうすれば家族みんながテレビの前で静かな夜を過ごせるわけだし。
よだれも見た目が悪いし服が汚れるから、
バイオ工学でちょちょっと手を加えてカテーテルを通し、
お口の余分な水分は涎バッグへ。
歯軋りがうるさい人からは奥歯を抜けばいいし、
多動の子どもには、頭にスイッチを仕込んで
手に負えなくなったらスイッチでちょっと静かになってもらう。
そうすれば家族みんながテレビの前で静かな夜を過ごせるわけだし。
よだれも見た目が悪いし服が汚れるから、
バイオ工学でちょちょっと手を加えてカテーテルを通し、
お口の余分な水分は涎バッグへ。
”Ashley療法”は、重症児にとどまらず、成長抑制にとどまらず、
こうして広く障害児・者一般に適用されていくのでしょうか。
こうして広く障害児・者一般に適用されていくのでしょうか。