米国IDEAが保障する重症重複障害児の教育、ベースラインはこんなに高い

一昨日の補遺で拾ったNY Timesの気がかりな記事。

何年か前に、仕事の関係で米国の個別障害者教育法(IDEA, 1975)をちょっとだけ齧ったことがあって、
一方では「みんなで責任逃れをするための書類整備システム」ではないのかと保留部分を持ちつつ、
さらに、それが教育現場を過酷な板挟み状態に追いやっている現実も意識しつつ、

それでも、

3歳から21歳までの間、障害のある子どもの教育については
地域のスクールディストリクトの責任が明確に規定されており、

できる限り制約の少ない環境で、個別教育計画によって、
個別のニーズに応じた無料の教育が保障されている、

そのため、必要な支援用具はもちろん、
必要と判断されれば1対1対応で看護師、介護者がつけられるほか、
個別の理学療法作業療法も受けられる……というIDEAの基本からすれば、

これだけ障害児・者の切り捨てが露骨になってきた一方で、
障害児・者支援のベースラインそのものは、
日本では考えられないほどに高いのではないか……という
大きな疑問も捨てきれずにいました。

その辺りのことを含めて、
この記事には、米国の重症重複障害児の教育の実態がいくらか描かれているので、
まず、その内容を、以下に。


現在、米国で何らかの特別教育サービスを受けている子どもは650万人以上で
彼らに対する特別教育にかかるコストは年間740億ドル。

そのうち重複した障害があり、特別な教育ニーズのある障害児は132000人。

例えば、記事が取り上げているDonovan Forde(20)のケースでは、
学校では常時、1対1対応の介助者(無資格)がつく。

このような無資格の介助者の年収は
だいたい 21,000  から 36,000 ドル。

内容を工夫した各種教科の授業を受ける。
(IDEA以前は、受けられるのは音楽と美術だけだった)
Donovanのクラスは、重複障害児が12人。

Donovanの個別計画で目標として設定されているのは
上下、左右など方向の概念理解を完全にすること。
米国のコイン4種類を完全に見分けられるようになること。
電子機器や触覚記号を通じて1日に5回、
自分の希望やニーズを伝え、コミュニケートすること。

なかなか完全にはできないため、目標は何年も変わっていない。

こうした授業のほか、
彼がIDEAで受けているものとして、毎週、

30分間の理学療法を2回。
1時間の作業療法を1回。
1時間の言語療法を1回。
30分間のvision セラピーを1回。

(ここまででなくとも、日本でも、うちの子が小学校の頃には、
ある程度の個別リハが受けられていたような記憶があるのですが、
今、日本では、こんなの、とうていあり得ないのでは?)

シングルマザーの家庭と思われ、
Donovanは9年前から病院経営のナーシング・ホームに入所している。

学校には既に15年間通っており、21歳になる来年で学校教育が終わる。
施設での日中活動では個別活動がはるかに少なくなるため、
今後の生活に適応できるよう、学力や認知能力の向上から教育内容の焦点をシフトして、
日常生活上のスキルや、介護者とのコミュニケーションへとフォーカスし、
工夫していく必要が出てきている。

(記事の内容から推測すると、
ナーシング・ホームから学校に通っているのではないかと思われます。
ナーシング・ホームについてはメディケイドで対応され、
教育についてはIDEAでスクールディストリクトが対応……
……ということではないでしょうか?)

またDonovanの学校の上の階には自閉症学習障害などの子どもたちのクラスが複数あり、
全体としては319人の子どもたちに約170人の介助者、セラピスト、教師、管理者が関わる。

2009年の一人あたりのコストは、58,877ドルだった。
ちなみにNY市全体の平均では、一人当たり17,696ドル。

A Struggle to Educate the Severely Disabled
The NY Times, June 19, 2010


IDEAによる1対1対応の補助員その他については、以下のエントリーにも。



なお、メディケイドの方から在宅の重症児ケアに支給される介護用具等についての
ベースラインをイメージする際に参考になりそうな記事は、こちらに。



           ―――――

記事の大きな流れとしては、

個別の障害像に応じて学力を伸ばそうと努力するのがIDEAの理念の基本になるが、
こうした重複障害児の教育では、学力と日常生活上のスキルと
どちらにフォーカスしていくかというジレンマがあること、

重症重複障害児に学力の伸びを期待することに限界があること、

インクルージョンの理念で組まれる教育プログラムには
そのまま当てはめることができず、個別対応にならざるを得ないこと、

したがってコストが最もかさんでいる一方で、
その内情は最も理解されにくいこと、

しかし、これまでスキル重視できた障害児教育も、
彼らが楽しいと感じ、自分も価値のある人間だと感じられるように
今後は情緒や人との関係性を念頭に考えていくことの必要性が指摘されていること、

などなどが描かれていきます。

Donovanの意思疎通はアセスメントできにくいとしても、
彼なりに頭を突き出して怒りを表現したり、
頷くことで「もっと」と要求したり、
頭が垂れているのは気持ちが落ち込んでいる時……など

「Donovanの理解力は非常に良いですよ。
彼は、あなたや私と同じように分かっています。
言葉を話せたり、目が見えれば、もっとうまく表現できるのですが」と
前の介助者だったAdams氏が言っているように、

理解されにくい重複障害児のコミュニケーションや認知能力についても、
多くが描かれてはいるのだけれど、

その一方で、記事を書いた記者には
Donovanが授業中に「ただ眠っている」とか
「ただ身体を震わせて、よだれを垂らして、そこにいるだけ」と見えているらしく、

記事のトーンのどこかから
こんなに多大なコストをかける意味があるのか、無駄ではないのか、と
問いかける響きが聞こえてくるのも事実。

やっぱり、連想されるのは去年あった、以下の声――。