MN州、100年に及ぶ差別的施策を障害者に公式謝罪

Minnessota州で、
これまでの障害者に対する差別に対して州の公式な謝罪が全会一致で上下院を通過し、
5月27日、知事が署名して法制化されたとのこと。

州上院のJohn Marty議員が13年間成立を目指してきたもので、
同議員は以下の声明を発表。

ミネソタ州が両党一致の元にこの謝罪を行ったことを
私は大変嬉しく思っています。

100年以上もの間、Minnesota州は
精神病や知的障害のある人々を家族や地域から引き離して
州の施設に閉じ込める施策をとりました。

それらの施設では、
賃金もなしに強制労働をさせられた人、
本人の同意なしに医療の実験や治療をされた人、
懲罰としてショック療法や忌避療法をされたり、隔離された人たちがいました。

上院保健委員会は、
家族と離れて施設に閉じ込められて子ども時代を送り、現在は成人している人たちから、
自分ではどうにもできないことに対して時に残酷な懲罰を受けた体験をヒアリングしました。

彼らは、人なら誰もが認められるべき尊厳を拒まれました。
このような事実はミネソタの歴史の恥ずべき部分です。

ここに公式に謝罪することによって、
ミネソタ州は過去の過ちを認め、この時代に幕を下ろす一助とします。

こんな謝罪は大したことではないと感じる人もいるかもしれませんが、
子ども時代に施設に不当に収容された人たちにとっては、たいへん重要な言葉です。

州の施策のために苦しんだ人たちや家族が、
やっと今、州から、その意味深い言葉を聞いているのです。

“We are sorry.” ごめんなさい、 と。

State passes public apology to people with disabilities
News Release, State Senator John Marty,
May 27, 2010


涙が出ました。

そして、
ここでもまた「尊厳」という言葉が
ごく自然に使われていることを思いました。

「ごめんなさい。過ちを犯しました」と言えない人たちが
自らの過ちを糊塗するために更に過ちを重ねることを躊躇わず、
多くの重症児の身体を侵襲のリスクに晒そうとしていることも。

そのために「赤ちゃんと同じ重症児は家で家族に介護されるのが幸せ」と繰り返している人たちに
この声明の、文言ではなく、その心をこそ、しっかりと聞け……と言いたい。

施設に閉じ込めることだけが問題なわけではないのだぞ。
尊厳を侵すのは、「どうせ」と線を引く、あんたらの、その卑しい心根なのだぞ。

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検索してはみたものの、legislation そのものには行きつけませんでしたが、 
YouTubeに、地元のテレビ番組のMarty議員インタビュー(6月11日)がありました。


特に印象的だった内容は、

・ 州でも企業でも社会でも、間違ったことをしたら、ごめんなさい、と謝るのは当たり前のこと。

・ キャスターの女性が、「今回の謝罪は障害者にとっても喜ばしいと同時に、
人間としての我々自身のためにもなるのでは」と指摘したのに対して、
Marty議員も、「その通りだ。ごめんなさいと自らの過ちを認めることが
この先に歩みを進める我々人間のためにもなることなのです」と。
(human-beings are better off)

・キャスターの女性は「障害者について社会全体の問題として皆が捉える契機となり、
社会の統合という意味でも意義深い」とも指摘。

・30年前から、この謝罪を目指して尽力してきたMarty議員は
 今回、両党全員一致で上院下院共を通過したことについて

「30年前には、セルフ・アドボカシーもなく、
障害者は世間から憐れんであげる存在とみなされていたが
今では障害者も尊厳をもった一人の人と捉えられるようになった。

30年前には、代弁してあげなければならなかったが、
今では本人たちが声を上げている。

こうして社会の意識が変わることによって、
我々一人ひとりにとっても、大きなプラスになる」と。


これこそ、
「いのちの選択」の中で書かれていた「社会の品位」というものであり、
当ブログがそのエントリーや、以下のエントリーで考えてきた内容に通じていくような気がします。