QALYが「患者立脚型アウトカム」と称して製薬会社のセミナーに(日本)

去年12月9日にエーザイファイザーの主催で開かれた
アルツハイマー認知症(AD)に関するプレスセミナーなるものが
介護保険情報」2月号の「認知症情報ネット」というコーナーで紹介されている。

出たばかりの記事をここに引っ張るわけにはいかないのでネットで探してみたら
こちらのケアマネさん向けサイトでも報告されていました。

これが、私は、ものすごく気になる。

公益社団法人地域医療振興協会研究所・地域医療研修センターの副センター長の八森淳という人物が
ドネペジル塩酸塩をアルツハイマー認知症の患者85人に投与して
QOLの変化を調査し、それを「治療効用値」なるものに換算したところ、
1組の患者と介護者で120万円もの治療効果があると考えられることになった、
という内容の発表を行っている。


タイトルにある「包括的健康関連QOL指標」が、そのセミナーでどのように説明されたか
介護保険情報」の記事で見てみると、

死亡率や生存期間などの“生物医学的アウトカム”から
もう一歩踏み込んだ“患者立脚型アウトカム”

死亡率とか生存期間だけじゃなく……って、どこかで聞いたよね……。

ゲイツ財団の私設WHOと言われるWA大学のIHMEについて追いかけてきた私の中では
センサーがピピピーと反応……もしかして……と思ったら、

やっぱり……。

IHMEのMurray医師やWHOが推進しているDALYでこそないけれど、
障害のある状態をない状態よりも割り引くべきだとして、
その割引率を決めている点では大差ないと思われるQALYが登場する。

ちょっとややこしい話なので、まずは八森氏の説明の概要を以下にまとめてみると

・患者さんと介護者のQOLについて、
移動の程度・身の回りの管理・普段の活動・痛み/不快感・不安/ふさぎこみ、の
5項目について3段階の評価を行い、

・「効用値換算表」を用いて、その5項目の評価の組み合わせを「QOL効用値」に換算し、
「完全な健康状態を1、死亡をゼロとして分析」。

・「完全な健康な状態」を1年間維持する「効用値」が1QALYという単位とされる。

・(ここのところ、まったくもって、よく分からない話なのだけれど)
日本人が、その1QALYを達成するために「支払ってもよい」のは600万円だというのは、
八森氏によると「ある研究ですでに確認されている」のだそうな。
そして、これを「支払意志額」と呼ぶそうな。

・ドネペジル塩酸塩を使ったところ、14週間で
患者・介護者とも効用値はおよそ0.1あった。
1QALYを600万円とすると、患者で60万、介護者で60万との計算。
合計で120万円の治療価値がドネペジル塩酸塩にはあったことになる。


「効用値換算表」とは一体いかなるものなのか、とか
「完全な健康」を1とし「死亡」をゼロとして、その間とは? とか、
日本人が「支払ってもいい」のは、一体「誰が」支払ってもいいと言ったの? とか、
「ある研究」って? 「確認されている」って、どこでどんなふうに? とか
たった0.1%の話なのに「およそ」って? とか
そもそもQALYって? などなど、

おそらく要所要所で詳細な説明が省かれているところが
この話のミソなのでしょうが、

QALYとは、quality adjusted life yearsすなわち、
「完全に健康な状態」と「死亡」の間にある状態を
QOLの高さ、または低さに応じて(つまり障害状態に応じて)数値化しようというもの。

これまでの保健医療の施策の効果は生存年数でのみ云々されてきたけど、
同じように何年間か延命できたとしてもピンシャンと元に戻って生きたのと、
生きてはいてもQOLが低い状態で(つまり障害のある状態で)助かったというのとを
一緒にしてはいかんだろう、それはやっぱり低く見積もらないと……
という発想から出てきた医療経済学の新指標。

考え方の方向として、
ゲイツ財団やWHOが推進しているDALYと同じわけです。

だから、ここに何の説明もなく、さらっと持ち出される「効用値換算表」というのは、
そのQOLの低さに応じて(つまり障害の程度に応じて)どれだけ健康状態から割り引いて考えるべきか、
QALYの「割引率」の算定表なのです。おそらく。

その算定表によって「完全な健康状態」の1と、「死亡」のゼロの間に、
0.85とか、0.6 とか……の状態が算定されていくわけですね。

例えば、こちらのエントリーで、ちょろっとだけ齧った論文によると、
移動機能に障害があると0.85とするのがQALYの算定基準でした。


いよいよ日本でも、DALYやQALYのような切り捨て医療の指標が
のさばり始めようとしている……?

しかも、その本当の正体を隠したまま。
QOLの視点を盛り込んだ治療効果の新しい指標」「患者立脚型」などといった
漠然とした、でも患者サイドに立っているかのごときイメージ操作によって。


ここが日本の一番怖いところだと私はいつも思うのだけど、

当ブログで拾っているニュースを単発で一見すると、
「日本ではありえないトンデモな話だ」としか思えないのは、
日本の文化ではそういうことは絶対に起こり得ないからでも、
日本の現状・現実が本当にそういうことと全く無縁だからでもなくて、

(ここまでグローバリズムネオリベラリズムが進んだ今の経済状況の中で
日本だけが文化が違うから、世界の他の地域で起こっていることと全く無縁でいられるというのは
まず考えられないのでは……と私は思う。特に科学とテクノの国際競争の激化を前にしては。)

欧米のメディアがジャーナリズムとして以前ほど機能しなくなったとはいえ、
まだしも正面からこうした問題を取り上げて伝え、
広く一般の議論するところとなるのに比べて、

日本では多くのことが一般には知らされず、
届けられるのは中身のない(そして誰かにとって都合のいい)空疎なイメージだけだから……
……なんじゃないのだろうか。


国際水準の移植医療で起こっている恐ろしい諸々を一切知らさないまま
去年の脳死臓器移植法改正議論でのA案推進者がしきりに
「国際水準の移植医療が日本でも実現するように」と説いたように、

「障害児・者も高齢者も死なせろ、殺せ」が日ごとに露骨になっていく
欧米の「無益な治療」論も「自殺幇助合法化」議論も、つゆ知らされることなく、
あたかも、日本だけが「死の自己決定権」の空隙にいるかのように装いつつ、
「尊厳のある死を自ら選んでおくこと」ことの大切さだけが抽象的に説かれ
「日本ではリビング・ウィルの普及率が低い」ことが言われるように、

ここでもまた、
DALYやQALYが何かということも
医療経済学がそれら指標で何を狙っているかということも、
一番大事なことは一切知らさずに、その問題を位置付ける「大きな絵」は誰も描いて見せることなく、

「欧米では患者・介護者のQOLの視点も取り入れて治療効果を検証している」とだけ言い、
「日本は遅れているのだから、こういう視点を取り入れて追いつかなければ」という方向に
我々をノセていこうとしている人たちがいる……のではないでしょうか。