カナダの無益な治療訴訟Isaiah君ケースでSobsey氏がコメント

昨日読んだ記事には出ていなかった病院の手紙の内容として

「残念ながら、主治医は、積極的な治療の中止が医学的にも理にかない、
倫理的にも責にかなって妥当なものだとの結論に至りました。

我々は息子さんの利益を最優先しなければならず、
人工呼吸器を続けないことが息子さんの最善の利益です。

辛い時期を迎えられたことをお気の毒に思っています」

また、AHSと病院サイドの弁護士は
脳死」という言葉が医療界で“hot phrase”(物議を醸す表現)なので
法廷で使うのを避けたが、

Isaiah君の脳損傷は、
生きたとしても意味のある機能を果たせない状態で、
呼吸器なしには生きることができない、と。

なお、母親が法廷で証言したところによると、
病院側の説明は当初Isaiah君は3日と生きないし、
成長することもなければ排尿も身動きもできない、
脳死なので頭が縮んでくる、脳は“どろどろ”になる、というものだったが

その後3ポンド以上体重が増え、排尿しているし、
毎日目を開け、膝をお腹まで持ち上げたり四肢を動かしたりしている、と。

母親のRebeccaさんは取材に答えて
「この子にはできないだろうと言われたことを、みんなやっているんです。
毎日、何か新しくできるようになることがあります。
だからこそ私たちも闘えるんです」

父親の方は、ちょっとニュアンスが違っていて、
We’re just doing everything we can right now, to know we’ve done everything we can do. と
悔いを残さないようにやっている、とか

この裁判で脳死だと判定された場合には
We wouldn’t let this go on forever. 
諦める、とのニュアンス。

この事件、Albertaで起こっているだけに、
当ブログおなじみAlberta大学のWilson先生、Sobsey先生が登場するだろうと思っていたら、
やっぱりSobsey先生(the John Dossetor Health Ethics Centerのディレクター)のコメントがあって、

最近、訴訟が相次いでいることについて

医療テクノロジーの進歩で
乳児の死亡ケースの75%で生命維持装置の取り外しの決断が必要となっている。

ほとんどのケースで医療サイドと家族サイドが同意して
配慮を持って適切に行われているが、
インターネットで情報へのアクセスが容易になったり
これまでのようには医療職の権威に従わない人が増えてきたり、
同様の訴訟について聞いたりすることで
訴訟が起きてきているのでは、と。

「しかし、親としては、“お宅のお子さんは死ぬべきだと思う”と言われたら
本当にそれが正しい行為なのか、そりゃ、とことん確かめたいでしょう」

また、あやうく呼吸器をはずされるところだったという人が
障害のあるなしにかかわらず、価値ある人生を送っているというケースは
いくらでもある、と指摘し、

確かに治療が無益なケースもあるのだけれど
「もしも間違った決断をしてしまう可能性があるのだとしたら、
生命はとても大切なものだから、取り上げてしまうのはやめた方がいい。

本当のところ、こうしたケースで、
100%確信できることなどほとんどないのだから」

Disabled infant gets reprieve
The Edmonton Journal, January 20, 2010


この記事に引用されている病院側の弁護士の発言で
私にはものすご~く懸念される表現があります。

それは、function meaningfully in life 。
生きたとしても「人生において彼の脳は有意義に機能できない」。

では、どういう状態なら meaningfully で、どういう状態なら「 meaningfully でない」のか。

私は、この曖昧な表現には、
脳死状態と植物状態や重症障害の境目を曖昧にする詭弁として
これから使いまわされていくのではないかという危惧を覚えます。

というのも、Ashley事件でも、この言葉は使われたのです。

Diekema医師がAshleyの知的能力について説明する中で
「彼女は生涯、人と meaningfull な関わりをすることができない」と言っているのです。
(すぐには当該資料が探し出せませんが、見つけ次第リンクします)


Ashleyと障害像がほとんど同じウチの娘もそうですが、
重症児の多くは、言葉がなくてもコミュニケーションは可能だし、
相手が「どうせ何も分からない」と決めつける人でなければ
人との間で豊かな関わりを持つことができます。(例えばこちら

もちろん、あなたや私と同じような分かりやすい関わり方ではないかもしれないけれども、
言葉がないから、知能が低いから、人と心を通わすことや意思疎通ができないというのは
重症児のことを知らない人の偏見に過ぎません。

重症児に対する偏見に満ちたDiekema医師が使った meaningfull と同じように
Isaiah君のケースで弁護士が言う「どうせ助かっても脳はmeaningfullには機能しない」が意味するものが
ただ「健常者と同じではない」ことを意味しているだけであるなら、
または、社会的生産性につながらなければ「意味がない」とされるのであるなら、
そして今後、そういう意味でこの表現が使いまわされることになれば、

線引きが「脳死かどうか」から「救命するに値する障害状態であるかどうか」へと
じわじわとズラされていくことにつながるのでは?

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ところで Sobsey氏は、Ashley論争の最初から、ずっと継続して批判し続けている人です。

当初の論争時にToronto Starでのコメントが私はとても心に響いて、
この人は一味違うと思っていたら、やはりご自身が
重症障害のある息子さんをお持ちでした。

その後も、“Ashley療法”、成長抑制療法批判では
本当に鋭く素晴らしい指摘を次々に行ってくださっています。

発言を追いかけながら、ずっと大好きな人だったのですが、
先週の「成長抑制でAshleyの体重は減っていない」ポストに引き続き、
この事件での、素晴らしいコメント――。

私は、もう惚れてしまいそうです。