巨大ファーマがかつてのゼネコンなのだとしたら……

前の2つのエントリーでまとめた
フランス生命倫理の小出論文EU議会の「科学とテクノのアセスメント」を読みながら、
科学とテクノロジーの発達で世界中の産業・利権構造が変わったことについて
漫然とあれこれ考えていたら、

ふっと頭に浮かんだ、ちょっとタチの悪い冗談──。


じゃぁ……かつてのゼネコンにあたるのは、
今の産業・利権構造の中で言えば、巨大製薬会社とか遺伝子工学などのバイオ企業なのかな。

すると、かつての“カイハツ”にあたるものが今では“フローフシ”で、
“フローフシ”の研究に邁進する医師や研究者は、いわば現場監督で……

……とすると、
障害者の命には価値がないといっては、せっせと切り捨て・排除の理論構築に励んでいる
Peter SingerとかNorman FostとかMary Helen Warnockなどの生命倫理学者は……

そっかぁ……なるほど、地上げ屋なんだぁ……。


──いや、まぁ、ただの、あまり品のよくない冗談なんですけど。

      

でもね、アハハって笑いながら、また、ふっと思ったのだけど、

ゼネコンなんかと比べると障害者は圧倒的にお金がないんだから
所詮はそれほど大きな声にはなりにくいのに、

トランスヒューマニストやリベラルな生命倫理学者が、
なぜあんなにも障害者を目の敵にするかというと、

あれは“科学とテクノの簡単解決でイケイケ”文化に対する障害者からの批判や異議申し立てが
彼らにとって、やっぱり一番厄介だからなんじゃないのかな。

どんなに貧乏な、みすぼらしくて、ちっこい家でも、カイハツ予定地に堂々と居座ったら、
“カイハツで銭儲けイケイケ”の人たちの頭痛の種になったように、さ。

貧乏で、みすぼらしくて、ちっこい家でも、そこに住む人が主張する権利が正当なものだったからこそ、
地上げ屋”を雇って卑劣な手段で追い出しをかけるしかなかったわけだから、さ。