EU議会の「科学とテクノの選択肢アセスメント」報告書を読む

今年5月にEU議会から
「科学とテクノ選択肢アセスメント:人間強化研究」という報告書が出ています。

Science and Technology Options Assessment: HUMAN ENHANCEMENT STUDY
STOA(Science and Technology Options Assessment),
European Parliament, May 2009

アブストラクトはこちら。

The study attempts to bridge the gap between visions on human enhancement(HE) and the relevant technoscientific development. It outlines possible strategies of how to deal with HE in a European context, identifying a reasoned pro-enhancement approach, a reasoned restrictive approach and a case-by-case approach as viable options for the EU. The authors propose setting up a European body (temporary committee or working group) for the development of a normative framework that guides the formulation of EU policies on HE.


科学とテクノで人間はどのようにでも作り変えられるかのように言いなされる将来ビジョンと
現実の科学とテクノの発達の間をきちんと埋めて、

理性的に整理したうえで強化を認めるアプローチ、
理性的に整理したうえで制約するアプローチ、
ケース・バイ・ケースのアプローチをそれぞれ見極めつつ、
EUにおいては、HE(人間強化)に対してどのような方針で臨むのが適切であるかを検討。

結論として著者らは
まず暫定的な委員会なりワーキンググループなりの組織をEUに作って、
そこでHEに関するEUの方針の枠組み作りを担うことを提言している。

この中の、特に、1章の中から治療と強化の区別について書いてある部分と、
2章の4、救済者兄弟を含むデザイナー・ベビーの章を
とりあえず、ざっと読んでみました。

 
まず、治療と強化の区別について。

報告書はその区別のために restitutio ad integrum という概念を用いています。
the restoration of a previous condition after a disease or after an injury。
つまり、病気や怪我の後に、それ以前の状態を回復すること。

21ページに表があり、
治療によって病気や怪我以前の状態を回復させる「治療であってHEでないもの」から
「何らかの強化の目的で医療でない方法とHEテクノロジーによって行うもの」までを
6つのカテゴリーに分けて定義している。

そして、その2つ目から5つ目までの境界線が曖昧になっていることを指摘する。
つまり、分明なのは「治療でしかないもの」と「強化でしかないもの」の両端のみということ。

一方、身体的な特徴がどのように捉えられるかということそのものが
様々な要因によって複雑に影響されることも指摘する。
加齢によって起こる身体の特徴や機能の喪失についても、
将来的にはHEではなく治療とみなされるようになる可能性がある、とも。
(ここは話がいきなり飛躍しているような気がしたけど
「喪失した状態の回復」という基準で捉えると馴染むのかも?)

そのほかに、この箇所で特に印象に残ったのは、
病気や怪我によってもたらされた身体的特徴という概念とパフォーマンスを混同しないために、
社会的に損傷だと捉えられる特徴を持って生まれた人の身体を
種典型や種典型の機能に近づけることを可能にするために行われるものはHEと考える、
したがって、例えば口蓋裂の手術もHEだ、と言っている点。

また、その直後に、
「いかなるケースにおいてもHEは予め定義された正常概念に基づくべきではない」とも。

これまで、たまたま出くわして読みかじった米国の文献や
例えばAshley療法論争なので出ていた議論では、
正常でない状態を正常に近づけることでは
倫理的な妥当性は問題にされない、という印象があったし、

反面、英国では口蓋裂のある胎児は中絶が許容される対象に含まれている。

ここを読んで、すぐに思い出したのは
猫のような身体になりたいなら猫のような身体になってもいい
えらを持って水中で暮らしたければ、それも選択できるのが
身体を巡る個人の自由な選択権だとするトランスヒューマニストの主張。

ヒトという種に典型的な身体や機能を有していないから
それは正常ではないからといって身体に手を加えることはHEだ、ということと、
HEは何が正常かという予めの定義に基づくべきではない、という主張の間には、
もうちょっと丁寧に埋めるべき距離があるような気がするのだけど……。

        
次にデザイナー・ベビーに関する章。

まず、デザイナー・ベビーの文脈で着床前遺伝子診断(PGD)について
書かれていることの概要は

PGDそのものはHET(HEテクノロジー)ではないが、
デザイナー・ベビーが将来確実に実現するものだとしたら、
そこにはどのような可能性と脅威があるのか、現在の規制システムで十分なのか、
新たな規制が必要なのか、と問題提起したうえで、

その答えを出すことは、この研究の範疇を超えている、と結論。

その後、報告書はデザイナー・ベビーを
ファンタジーとしての「パーフェクトな赤ちゃん」と
既に現実になっているデザイナー・ベビーに分けて論じる。

前者については、昔からあったファンタジーであり、
ポストヒューマンの夢を見て選択の自由、親が望みどおりの子どもを持つ自由を唱える提唱者と、
彼らが描く、まさにその夢にこそ脅威があると唱える批判者との溝が埋まることはないだろう、と突き放す。

また、ヒトゲノム読解が終了して以降、
我々は遺伝子によってのみ規定されるわけではなく、
遺伝子と環境その他多くの要因が複雑に影響しあっていることが確認されている、
したがって遺伝子操作によるパーフェクトなデザイナー・ベビーという
ファンタジーの魅力は薄れていることも指摘する。

知能など、望ましいとされる特徴を遺伝子操作で選部ことに関する研究もまだ少なく、
「パーフェクトな赤ちゃん」というファンタジーのリアリティは薄い。

一方、PGDによって既に現実となっているデザイナー・ベビーとして、
救世主ベビー(the Savior Baby)・美容ベビー・障害ベビーを挙げている。

救世主ベビーについては、
世界で初めて生まれたのは米国コロラドで2000年8月29日。
ファンコニ貧血症の姉Mollyを助けるために作られた Adam Nashくん。
30個の胚の中から、IVFとPGDにより、
ファンコニ貧血がないことを確認し、幹細胞移植ドナーとして選ばれた。

報告書は、遺伝上の形質によって選ばれたことが救済者兄弟にもたらす心理的な影響や
兄弟間の関係に及ぼす影響などの懸念を指摘している。

美容ベビーについては、
2007年、ロンドンのクリニックで承認されたのは、
親の遺伝性の斜視を受け継がない子どもを選ぶためのPGD。
その際、クリニックの院長は、こういう利用は増えるだろう、と。

また2009年には米国カリフォルニアで、
もともと健康な胚を選ぶ必要のあった夫婦に、
その選択の過程で特定の容姿をもった胚を選ばせて論争となった。
もっとも、実際に望みどおりの容姿になるかどうかは不明。

障害ベビーに関しては、
2002年、耳の聞こえない2人の精神医療関係者の女性が、耳の聞こえない子どもを産むために、
耳の聞こえない男性を精子のドナーとして遺伝子操作を行った。

(このケースのあった国は書かれていませんが、去年、英国上院のヒト受精・胚法改正議論で
「耳の聞こえないなどの」とわざわざ例にとって障害のある胚を優先させることの禁止条項が
大きな議論となっていました)

米国、英国には、小人症と耳の聞こえない子どもを作る高価な技術を提供しているクリニックがある。

意図的に子どもに障害を負わせることに批判がある一方、
文化的なアイデンティティの問題として、自分と同じような子どもを持つ親の権利を主張する声も。

2006年、小人症のCara ReynoldsさんはNYTimesで
「私と同じ外見の子どもを産んではいけないなんて、言わせないわ」と。
が、実際には保険会社がCaraさんの年齢を理由に支払いを拒否したため、実現しなかった。

命に関わる重症の病気を防ぐという目的からPGDの利用が離れつつある。
HEと治療の境目は脅かされている、と報告書。

理論的には約1000の単独遺伝子による異常を見つけることが出来るとされるが、
実際にPGDで検査する病気を限定している国が多く、
(制限していない?)スペイン、ベルギー、チェコ共和国などが
他のEU諸国からも米国、レバノンイスラエルからも希望者を受け入れている。

2007年にはオランダがPGD療法を行うクリニックを増やして3つにした。
実施数は年間100症例とされているが、実際はその3倍とみられる。

(オランダ、ベルギーといえば医師による自殺幇助を合法化している国でもあり、その点、興味深いです)

PGDが急速に確立された療法となって先進国で広がりつつある一方で、
実際の適用と長期的な影響には道徳上からも施策の上からも懸念がある。

These issues often stay within circles of medical scientists and bioethicists. Their largely incompatible arguments stem from different positions on the newness of PGD and its long-term impacts in the respect of morality and policy, and compared to IVF and prenatal screening.(p.79)

単にIVF技術の延長上で捉えるか、全く別の影響力を持った技術と捉えるか。

乳がんの遺伝子診断にPGDを認めている国は米国、英国、オーストラリア。
訴訟がらみになる可能性もある問題。


……この辺りまで読んで疲れたので、とりあえず、以上。