自殺幇助ガイドラインに、MSの科学者とアルツハイマーの作家それぞれの反応

今回のガイドラインと、その前後のメディアの騒ぎを受けて
2005年にPurdyさんと同じMSと診断された 惑星科学者のColin Pillinger氏が
「もう黙っていられない」と声を上げている。

この議論はDebby Purdyというたった一人のMS女性の声だけで進んでいて
まるで進行性で不治の病気の患者はみんな家でなすすべもなく横たわっていて
スイスに行って死ぬことだけを望んでいるかのような印象を与えてしまっているが
実際には生きがいを持って日々を暮らしているMS患者もたくさんいる。

MS患者は死んでもいいのだということになれば、
MS治療法の研究のための資金が集まらなくなってしまうではないか。

ガイドラインなどなくても法律は明確なのだし、
とりあえず現実にこれまで罪に問われた人はいないのだから、
Purdyさんの夫が罪に問われるリスクを引き受ければいいだけのことだろう。

(この点についてはここにも書いたように私も同感。
でも、この人たちに代理訴訟を戦わせて広告塔にしたい人たちがいるという事実の方がたぶん大事なんだと
私はその後考えるようになった)

作家のTerry Pratchettがアルツハイマー病についてしゃべっているのも同様だが、
MSについても、たった一人の女性の主張で物事がネガティブに進んできた。

今こそ、ポジティブな姿勢が必要。
死ぬことではなく生きることについて議論しなければならない、と。

Pillinger speaks out on dying debate
The BBC, September 23, 2009


この議論は、
「障害者は死にたいと望んでなどいない」いや「望んでいる人もいる」という
先般のCampbell vs. Shakespeare 論争と重なる点があり、

また、治療法の研究を進めるのか、それとも死にたいのかの2者択一と捉えている点では
Peter Singerが障害者全般に突きつけている「どちらかを選べ」という論理
乗せられてしまっているような危うさもあると思うのだけど、

この2つの点については頭の中がガチャついているので、
もうちょっと考えてから。


ところで、Pillinger氏から名指しされているPratchett氏も、
早速BBCのインタビューを受けている。

Pratchett on how he wants to die
The BBC, September 23, 2009


ビデオを見る限り、インタビュアーは予見に満ちて
いわゆる「回答を相手の口に入れてやる」ような質問をしては
むしろPratchett氏の方が慎重に言葉を選んでいるのが印象的。

Pratchett氏の発言の要点は、だいたい以下。

アルツハイマー病の研究にはもっと資金もつぎ込んで力を入れなければならないが、
我々は自然にプログラムされた以上に生きようとするようになり、
80歳でも満足せず95まで生きなければ嫌だと言い始めている。
そういうのは、どんなものか。

今の自分はアルツハイマー病であっても、それなりに満足して暮らしているが、
病気が進行して、状態が悪くなれば、GPに薬を処方してもらい、
家でブランデーを片手に死んでいきたい。
それは自殺ではなく、自分の人生から少し早く立ち去るだけのこと。

政府は自分で自分のことを決めることができない人の面倒を見ればよい。
自分で自分のことを決められる人は自分で面倒を見ればよいのだ。

印象的なのは、
インタビュアーがしきりに「あなたは自分がコントロールしたいんですよね」などと
コントロールという言葉を使わせようと誘導していること。



私は逆に、
「80歳でも不満で、95歳まで生きなければダメ」などと
なんでも科学とテクノでコントロールできると信じる文化こそが能力至上の価値観を背景に隠し持って、

「能力を失ったら生きている価値がない」というメッセージを世の中に広めているのだと思うのだけどな。