シャイボさんは「ターミナルでもないのに名ばかり夫に死なされた重症障害者」

シャイボ事件関連。

Terryさんの父親の死についてのメディア報道において
Schiavo事件が正確に説明されていないことを指摘する記事が出ています。


まず、栄養と水分供給の停止は裁判所の命令によって行われたのではなく、
妻はこんな状態で生きるくらいなら死にたかったはずだとの
夫の不当な主張によっておこなわれたのである、という点。

また特に、Terryさんが植物状態であったことが死後の解剖で確認されたかのように
書かれていることについて、

Terryさんの生前に少なくとも2人の神経学の専門医らから、
Terryさんの状態は植物状態でも最少意識状態でもないとの所見があったこと、

また永続的植物状態の患者が覚醒したケースもあることなどに触れずに
Shaivo事件をまとめて記事を書くことはジャーナリズムのあるべき姿勢ではない、と批判。

ジャーナリストのMichelle Malkinの以下の言葉こそ
Schiavo事件の本質を的確に捉えたものだと紹介しています。

Terri Schiavo, a profoundly disabled woman who was not terminally ill and who had an army of family members ready to care for her for the rest of her natural life, succumbed to forced dehydration at the hands of her spouse-in-name-only.

ターミナルな病気ではない重症障害女性が、寿命ある限りケアするといっている何人もの家族がいるというのに、名前だけの配偶者の手によって脱水を強要されて亡くなったTerry Shicavo事件。

(夫は既に別の女性と暮らしていたと、どこかで読んだ記憶があります。
その女性とはテリーさんが障害を負う前から交際があったとも、どこかで読んだような……。
テリーさんの過食症が障害の原因になったとの説もあるのですが、
そうすると過食症の原因は夫の女性問題だった可能性もあるのかも知れず……)

Terryさんの解剖報告書を読んだMichelle Malkerさんのブログ記事(2007年)がこちら

Malkerさんの事件の捉え方、特にTerryさんの障害像については同意するけど、

そういう立場に立つ人にして、2007年時点で
「寿命の限りケアする家族がいる」ということは
栄養と水分を供給されて生かしてもらうことの資格の1つであるかのように感じていたということには、
ちょっと、引っ掛かりを覚える。

2007年の米国社会には既に、
コストを含めた介護負担を担える家族にのみ重症障害者の延命治療に関する選択権がある……という
空気が漂い始めていた、ということでしょう。

そして、その空気は今や「無益な治療法」という法律として米国の臨床現場に広がり始めている――。

もはや重症障害者の延命治療の選択権は、
本人にも家族にもなく、病院のものとなろうとしている――。