脳死判定後に臓器摘出準備段階で意識を回復した米人男性のニュース(再掲)

大変な遅ればせで、自分でも、このトロさはどうにかならないかとは思うのですが、
7月の上旬に某MLで勧められていた小松美彦氏の「臓器移植法改定 A案の本質とは何か」(「世界」8月号)を
今頃になって、やっと読みました。

その中の
「08年の米国では、脳死判定が行われて臓器摘出の準備に入った後に、
意識を“回復”した者まで存在する」と書かれている箇所で、
なんとなく覚えがあるような気がしたので、情けないけど自分のブログを検索してみたら、
2008年3月24日のニュースを4月3日のエントリーで書いていました。

以下に再掲。

Zach Dunlapさん(21)が交通事故にあい、
テキサスの病院で脳死を宣告されたのは去年11月19日のこと。

臓器提供に同意した家族がいよいよZachさんと最後の別れに臨んだ時に手足が動き、
ポケットナイフで足をなぞったりツメの間に押し付けたりすると反応を示した、と。

48日間後に退院を許され、現在自宅療養中。

Man Declared Dead Feels ‘Pretty Good’
Associated Press, March 24, 2008

3月24日にNBCテレビの番組に両親と共に出演した彼は
医師らが自分の死亡宣告をするのを聞いたことを覚えていると語り、
「動けなかったから、その時やりたかったことができなくてよかった」と。

「その時やりたかったこと」というのは医師らに掴みかかって生きていると言いたかったのかと問われて、
「たぶん窓が飛び散るくらいの激しさで掴みかかっていただろうね」

脳死状態の彼の脳のスキャンを見た父親の話でも
血流は全く見られなかったというのですが、
いまだに記憶には障害があるものの
テレビに出演してこれだけ筋の通った会話ができるところまで回復しているのは事実。

「本当にありがたいです。諦めないでいてくれたことがありがたいです」

Dunlapさんのこの言葉、
よくよく考えると恐ろしい言葉ではないでしょうか。

諦められて、
臓器を摘出するための医療に切り替えられて
死んでいく人が現実に沢山いるのだから。

その人たちがもしかしてDunlapさんと同じように
自分が脳死宣告される声を聞いた記憶を持ちつつ死んでいくのだとしたら……?

臓器を保存するための処置を(それはとりもなおさず自分を殺す処置になるわけですね)
医師らが始めようとする気配や会話が
もしかしてその人の最後の記憶になるのだとしたら……?

そんな孤独と絶望の中で死んでいくことが
ドナーになろうとの愛他的行為の見返りなのだとしたら
それはあまりにも酷い話では?

テレビ出演したZachさんのビデオがこちらに。


小松氏が「A案の本質」として以下のように結論されている部分、
まさに、その通りだと思う。

翻って棄民とは、雇い止め労働者やネットカフェ難民やホームレスだけではない。医療の中でも命の線引きがなされ、まず最弱者の脳死者が、次に種々の末期患者が、さらに植物状態やALSの患者、認知症老人、障害者などが、廃棄されようとしている。その法的突破口がA案なのである。
(p.53)

小松氏のこの文章が発表された数日後、
「国際水準の医療」を実現するべくA案は採決されました。

おそらくは「国際水準」として
医療による棄民が既にものすごい規模と勢いで進みつつある米国を念頭に──。