A事件が犯した最大の罪は障害者の間に線引きを行ったこと

今回の臓器移植改正法の成立は
これまで障害児・者を巡って英語圏の医療で起こっていることを追いかけてきた私には
日本でもこれを境に、そちらに向かう「すべり坂」が始まるぞ、とのメッセージとして響きました。

それで、そういうことを、あれこれ考えていたら、

今年の5月1日「世界中で障害者差別反対のブログを書く日」に参加した際に
七転八倒しつつ英語でやっているブログの方に書いたAshley事件についての文章を
日本語にして、こちらにもアップしたくなった。

タイトルは
The damage the Ashley case has done and damages it can still do
(Ashleyケースが犯した、取り返しの付かない害悪。
これから先に、まだ犯しかねない、更なる害悪)

適当に抜いたり、まとめたりしながら、ほぼ全文を以下に。

もう2年以上、Ashley事件を追いかけている。

Ashley事件を機に、
障害児・者の医療をめぐる、その他の事件も気にかかるようになった。

そうして
Emilio Gonzales, Ruben Navarro, Sam Bolubchuk, Kaylee Wallace, Annie Farlow ほか、
障害があることを理由に医療によって見捨てられ、
命の切捨ての対象にされた多くの人々の事件を知った。

この2年以上に起こった、それら多くの事件を経て改めて振り返る時、
Ashley事件はその後に加速化する障害児・者軽視・切捨ての前触れとして
非常に象徴的な事件だったのだ、ということを思う。

Ashley事件が犯した罪の最たるものの1つは
障害者の中に明確な線引きをしたことだ。

Ashleyの父親とDiekema医師、擁護に登場したFost医師らは
重症重複障害のあるAshleyは他の障害者とは違うのだと主張し続けた。
そうして、彼らは障害者を、尊厳を尊重すべきグループと、尊厳など考慮する必要の無いグループとに分け、
両者の間にくっきりとした線引きを行ったのだ。

Ashleyケースの報道で、その線引きと、その正当化の理屈に初めて出くわした時、
賛否いずれの立場で受け止めたかはともかく、世界中の人が衝撃を受けた。

しかし、数ヵ月後にKatie Thorpe事件で同じ正当化が行われた時には
もはや人々は、さほどの衝撃は受けなかった。
Ashleyケースによって、既に線が引かれていたからだ。

あれから2年。Ashleyケースによって行われた線引きが
現在の無益な治療論や自殺幇助合法化論での線引きにぴたりと重なることに
私は薄気味悪いものを覚えている。

成長抑制も無益な治療論も自殺幇助合法化も選択的中絶も着床・出生前遺伝子診断も、
それぞれに個別の議論かもしれないけれど、それらはすべて、
世の中の人々が障害や障害者に向けるまなざしに
大きなマイナスの影響を及ぼしている。

その結果、脳死と永続的植物状態の間の線が曖昧になり、
永続的植物状態と重症の認知障害との間の線が曖昧になり、
それらを区別して引かれていた線は、互いにどんどん近づいていく。

そして、いまや
その人が本当はどういう状態なのかという実像には
誰も興味などないのでは……と、私には背筋が冷える。

「赤ん坊と同じ」「悲惨な」「耐え難い」「ただ寝ているしか」「自分でトイレにすら行けない」
などなどのレッテルが貼られてしまったら、
もはや、その人が具体的にどういう障害像の人なのかが問われることはない。

医師か家族が特定の人について死んだほうがいいと決めてしまったら、
それだけで本当に殺してもかまわないかのように。

まるで、障害者を2つに分ける、この線の向こう側にいる人たちには
何をしたっていいことになったかのように。

2007年のAshley療法論争の時、1月12日のラリー・キング・ライブで
障害当事者の活動家 Joni Tadaさんは言った。

忘れないでもらいたいのだけど、
もしも障害者から適切なケアを引き上げて
その代わりに体の一部を外科手術で取り除けば
それでコスト削減できると、その方法さえ見つければ
社会はそれをやるのだから。

障害者を犠牲にしてマジョリティの便利を優先させる機会さえあれば、
社会はそれをやるのだから。

Ashley療法論争の初期に、誰かが既にこんな警告を発していたことに私は驚く。
そして、彼女の言葉が今まさに現実となりつつあることに、ぞっとする。

しかし、Ashley事件に関してだけいえば、
その他の動きと違う事情があるはずだ。
2004年にAshleyケースを検討した際、
医師らはそれが間違っていることを承知していたはずなのだから。
そうでなければ2年間も隠蔽しなかったはずだ。
そうでなければ、言うことがもっと一貫していたはずだ。

彼らは今さらに成長抑制を一般化しようとしている。
障害者の間に線引きをするという、すでに取り返しの付かない害をなしたこと、
一般化によって、さらに取り返しの付かない害を追加していることを振り返って、
忸怩とした思いをしている人は本当にいないのだろうか。

誰でもいい。
子ども病院の誰かでも、WPASの関係者でも、メディアでも。
真実を知っている人がいるはずなのだから、その中の誰かが
どうか名乗り出て、真実を語り、
既に行われてしまった線引きの害悪を
少しでも修復してもらえないだろうか。

誰でもいいから、誰か。どうか。