「2つの認知系のせめぎあい」説から「当事者性という溝」を考える

前々回のエントリーで引用した
こびと症の人とジャーナリストの論争から
個人的な体験について考えたこと。

ずっと昔、娘がお世話になっている身障センターの整形外科の先生方が
子どもの障害を知ったばかりの親が集まる母子入園での診察で
まだ動揺の大きな親たちに向かって、何の配慮もなく
「この子はどうせ一生歩かないよ」などと放言しては傷つけることを
批判する文章を書いたことがある。

(発達小児科の先生方には、もうちょっと親の心情に対する配慮があった)

私が書いたものを読まれたからかどうかは分からないけれど、
その数年後に娘が骨折した時に何人かの整形外科医と話をした際には、
「申し訳ないけれど、ミュウさんが立って歩くことは、この先もないと思うので」
「こう言っては大変申し訳ないですが、ミュウさんは歩かないので」と
どなたも「歩かない」と口にするたびに、いちいち無用の気を使われるのに、
ほとほと情けない気持ちになった。

「歩かない」と言うのが気に食わないから詫びろと求めたのではなかった。

重症児の親になって10年以上も経てば、
我が子が一生歩かないだろうことくらい単なる事実として受け止めている。
実際、歩かないのだから、歩かないと医師から言われることに何の不都合もない。
「この先も歩かないことを考えたら、リスクのある手術で足をまっすぐにする益はない」と
普通に言ってもらって全然かまわない。
「確かに、この子は歩きませんからリスクの方が大きいですね」と同意するだけだ。

けれど今の私が「この子は生涯歩かない」と言われても
余計な感情をかきたてられることなく単なる事実として受け止められるのは、
それまでの10年以上もの年月の間に様々な体験を積み、知識を身につけ、
様々な葛藤や心の波立ちを繰り返しながら障害のある子どもの親として成長し、
心の、少なくとも表層部分は渋皮のように鍛えられてきたからだ。

生まれて間もない我が子に障害があると知ったばかりの親の心は
生まれたての雛のように無防備で柔らかなのです。

因幡の白兎のように赤剥けて血がにじみヒリヒリしている。

そこに塩を擦り込むのは
本当は「歩かない」とか「歩けない」という言葉ではない。
その赤剥けの心に配慮しない無神経の方。

私たち親が分かって欲しいのは、そのことなのに、
それだけのことが、どうしてこんなに伝わらないのだろう……?

ずっと、そのことを考え続けている。

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性神話や障害児の母親に対する美化が
子育てや介護の負担に苦しむ母親に、悲鳴の口封じになっているということについて

私たちは「しんどいけど可愛い」という順番でしか、ものを言うことを許されない。
そろそろ「可愛いけど、しんどい」という順番で、ものを言い始めてもいいのではないか。
という表現で伝えようとしたことがある。

もちろん諸々の周辺的解説付きで、ずっと前に文章にしたものだけど、数年前に
ある精神障害者地域生活支援センターの職員さんたちと
子育て支援について話していた時に
同じ文脈でこの表現を使ったことがあった。

その場にいた子育て中の女性スタッフは「それ、すごく分かる」と涙を浮かべ、
我が子の子育てを妻に任せている男性スタッフは反発もあらわに
「なぜ言葉の順番の問題なのか、分からない」と首をかしげた。

分かって欲しい、と一心に念じて言葉に乗せる思いは
すでに同じ思いを知っている人には、まっすぐに伝わっていくのに
分かっていないからこそ一番分かってもらいたい相手の心には届かない。

子育て支援の必要を感じてその議論の場を設定した、
精神障害者支援について素晴らしい見識と業績を持った支援のプロにすら伝わらない。

むしろ心よりも手前に張り巡らされた厚い壁に跳ね返されてしまう。

いつも、そう感じるのは、どうしてなのだろう。
ずっと考えている。

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差別を受ける立場から差別する側に対して異議申し立てが行われた場合に、
それが「言葉の言い替え」や「政治的に正しい言動」の次元に矮小化されてしまって、
「なんで言葉や声しか届かないのだろう。心が届かないのだろう」と
異議申し立ての声を上げた側は歯噛みするほどもどかしい思いをする……というのは
実はよくある話なのだろうと思う。

本当に、スタノヴィッチの解説のように
進化の過程で組み込まれた自律的認知系TASSを
それとは独立して働く分析的認知系によって乗り越えることで
この問題は解決できるのだろうか。

他者の人生の一回性や当事者性を理解することを拒絶するのがTASSだとして、
分析的な思考によって、それは乗り越えられるのだろうか。

他者の痛みをリアルに想像することは難しいし、
できるとしても、せいぜい所詮、想像することだけではないのだろうか。
そもそも、その「想像」は本当に可能なのだろうか。

……と、こびと症を見た時の違和感を分析的思考で乗り越えよ、とする
スタノヴィッチの解説に引っかかって、実は3日ほど、このことばかり考えていた。

で、とりあえず、たいしたことに思い至ったわけじゃなくて、
実はただ当初のスタノヴィッチ説を再確認しただけなのだけど、

そうか、彼が乗り越えろと言っているのは、
こびと症の人を見た時の違和感そのものではなくて、
違和感があるのは事実だから仕方がないだろうと、そこで終わる態度なのだ、と。

人生の一回性や当事者性も他者はリアルに体験することはできない。
つまり他者の痛みを直に自分が経験することはできない。
その感覚の限界は変えようがない。

スタノヴィッチが言っているのは、
「その変えようのなさをどうするか」という問いではなく、
「その変えようのなさを前に自分はどうするか」という問いこそが問題なのだ……なんだな、と。

そう考えれば、
せめて「歩かない」の前に詫びてみようかと考えてくれたドクターたちは
少なくとも分析的思考で努力をしてくれたということになる。

しかも、あの当時、ふんぞり返って患者にも看護師にも平気で暴言を吐き、
手術室で看護師のやることが気に入らなければメスが飛んだという逸話すらある医師が
患者の母親に「申し訳ないけど」と、とりあえず詫びようと考え、
それを若手の医師らにも指導・徹底してくれたのだとしたら、
それは、ずいぶん落差の大きなジャンプだったことだろう。

その努力を努力と認めずに「分かってないッ」と否定したのは
今度はこちらの分析的思考が不足していたのかもしれない。

「ああ、少なくとも努力をしてもらえたのだ」と捉えることができれば、
もう少し、その先を分かってもらおうと私も働きかけることができたのかもしれない。

「なぜ順番の問題になるのか分からない」と首をかしげた男性に、
それは順番の問題ではないのだと辛抱強く説明し、
「分からない」で終わるのは、そこでドアを閉めることですよ、と
働きかけることができたのかもしれない。

そこで「やっぱり男には伝わらない」と諦めて黙ったのは
私もそこでドアを閉めてしまったのだろう。

20数年間の医療との付き合いで
私の中には医療や医師に対する偏見がかなり強固に出来上がって
それこそTASS的な反応を示してしまうところに至ってしまったけど、

障害のある子どもの母親として
自分が体験した痛みや、今も自分のうちにある思いを伝えるための言葉を
やっぱり自分なりに探し続けてみる以外にはないのだろうな、と改めて思う。

アナバチにならないための自分なりの方策として。

そして重症障害児・者の認知能力についても

「分からないと証明できない」ことは
「分からないと証明できた」のと同じではない、
依然として「分かっているかもしれないし、分かっていないかもしれない」なのであれば、
その人への侵襲を検討する際には「分かっているかもしれない」を前提にすることが
倫理的な判断というものではないか、とも主張し続けていくことにしよう。

ちょっと大げさだけど、
私たちをアナバチ化しようとするNBICテクノクラートへの私なりの抵抗として。

どうせ分からないと思われている人たちが実は分かっていることを
証明する必要すら感じないほど確かに“知っている”者として。