祈りで治そうと糖尿病の娘死なせた夫婦、裁判へ

Wisconsin州で去年3月に起きた事件。

若年性糖尿病のKara Neumanさん(11)が
歩くこともしゃべることも出来ないほど弱っていたにもかかわらず
病気を治すことができるのは信仰の力だけだと信じる両親は病院へ連れて行くことをせず、

見かねた叔母からがシェリフに通報、救急車が救出したものの
Karaさんは病院到着時には既に死んでいた。

Wisconsin州の法律では
祈りによって病気を治そうとする親がネグレクトに問われた場合には
その罪を免除する条項が盛り込まれており、
reckless endangerment(過失致傷罪?)に問われた夫妻は
憲法で保障された信仰の自由を侵害ものだと主張しているが、
Marathon郡周回裁判所の裁判官は
憲法は信仰の自由は保障しても行動の自由まで保障していない。
 祈りで治そうとするネグレクトの免除も子どもの病状が命に関らない場合の話」として
母親の方には5月14日、父親の方には6月23日に出廷を命じた。

有罪となった場合には夫婦それぞれ25年以下の懲役の可能性。

米国では過去25年間に、
両親の宗教上の信条によって医療を受けられずに死んだ子どもが300人程度いる。

去年もOregon州で2組の夫婦が有罪となった。
一件は1歳3ヶ月の肺炎の娘。
もう一件は16歳の尿路感染の息子。

特に尿路感染は適切な治療さえ受けられれば死ななくても済む病気。

子どもの医療における親の宗教上の信条については
州によって法律の対応がまちまちであることから、
今回のNeuman夫妻に対する判決が重要な前例となると注目される。

Trials for Parents Who Chose Faith Over Medicine
The NY Times, January 21, 2009


Nerman夫妻の地元の人がインタビューに答えている言葉が衝撃的で、
「娘が病気だというのに病院へ連れて行かなかったのには賛成できないけど、
だからといって親が収監されなければならないのか疑問」と。

死ななくても済んだはずの子どもが1人死んでいるのに……?
親が子どものためを思ってやったことだから免責されるべきだとでも……?
じゃぁ、子どもは親の愛情のためなら死んでも仕方がないのか……?
それは、子どもをまるで親の所有物のように捉える感覚なのでは……?


こういうニュースを見るたびに、
Ashley事件で擁護派が強硬に言い張った「子どもの医療は親の決定権で」という説が
頭によみがえって考え込んでしまう。

“Ashley療法”論争の際にも、
多くの人が「親が愛情からやったことだから」と感動・賞賛・擁護したものだった。

Peter Singerは去年の認知障害カンファの講演でも
選別的中絶やAshleyケースを例に引いて
障害のある子どもについては全面的に親の決定権に任せるべきだと主張しているのだけれど、

親の愛情って、それほど信頼に足りるものなのかどうか……?

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反面、こういうことを考えるたびに、

重症重複障害のある娘をこの社会に託して死んでいけると言い切るには
まだまだ自信も確信も持てない自分自身の胸の内を覗き込んでしまうのも事実……。