“師長の王国”

うちの娘は重い障害のために幼児期には、それはもう言語道断なほどの虚弱児で、
3日と続けて万全な体調が続くということがない子でした。
昼間の病院通いはもちろん、
夜中の救急に駆け込んでそのまま入院になったことも数知れず。

成人してやっと元気になってくれた今になって振り返っても情けなくなるほど
数多くの病院を体験してきたし、緊急入院では小児科以外の病棟に入ることが多かったので
いろんな病院のいろんな病棟で入院を体験してきたのですが、

その中で感じたことの1つが
「病棟というところは“婦長(当時)の王国”なんだなぁ……」ということ。

その後、娘が重症心身障害児施設で暮らし始めると、
やはりそこでも、現場は“師長の王国”でした。

細かい例えで言えば、新しい師長が来ることで
「食事前に子どもたちの手を消毒する」という取り組みが突然始まるかと思えば、
また師長が変わると、その消毒がいつの間にかなくなっていく。

どこもかしこも乱雑で、冬には加湿器がカビだらけ。
「これじゃ空中に細菌ばら撒いてるようなもんだよ」という状況が放置されているかと思えば、
師長が交代したとたんに、あちこちがきれいに整理整頓されるということも起こる。

まぁ、こういう細かいことは、人間のすることなのだから、
そうそう何もかもカンペキには行かないのが当たり前だとは思う。

しかし、もっと本質的なところで、大事なことがガラッと変わることもある。

「体調に気をつけつつ、なるべく外に出て、いろんな体験を」という師長の姿勢が浸透して、
子どもたちにもスタッフにも笑顔が多く、
全体に風通しのいい明るい雰囲気が続いていたのに、
ひどく管理的な姿勢の師長が来たとたんに、
子どもたちが外に出られなくなったばかりか
「安全と健康のため」と長時間ベッドに閉じ込められて
病棟中に重苦しい閉塞感が漂った年もあった。

この年は食事の時間になると、スタッフは無言で
子どもたちの口にスプーンの食べ物を機械的に押し込んでいました。

スタッフが子どもと笑いあうことも
スタッフ同士が冗談を言い合うこともなくなりました。

そして、この年、
デイルームの壁には経管栄養のバッグを吊るすフックがいくつも取り付けられました。
食事の時間になると、ここに特に重症の子どもたちがずらりと並べられて、
いくつものバッグが吊るされ、そこから管が垂れ下がります。

異様な光景でした。

そこには、ついこの前までは
口から食べさせてもらっていたはずの子どもたちが何人も並べられていました。

あっという間に経管栄養に切り替えられる子どもたちが増え、
夕食後は全員が早々とベッドに入れられるようになりました。

あっという間に子どもたちから笑顔が消えていきました。

この頃、師長は”王国”の様子を問われて、こう答えたといいます。
「最近はやっと落ち着いて仕事ができるようになりました。
 業務がはかどるようになって職員みんなが喜んでいます」

デイルームの子どもたちの傍にはスタッフの姿がめっきり減って、
看護師さんたちは詰め所で無言で机に向かい“業務”をこなしていました。

次の年、師長が変わったおかげで
(もちろん、その過程には色々なことがあったのですが)
壁際の「チューブ栄養補給所」は廃止され、
並べられていた子どもたちの何人かは口から食べさせてもらうようになりました。

             ――――――

脳卒中で不自由な身体になった世界的な免疫学者
多田富雄氏が患者の立場で書かれた本を何冊か読みました。

ほんのわずかな食事を食べるために、必ず誤嚥しては長時間咳き込み続ける苦痛について
氏はどの文章でも繰り返し「地獄の苦しみ」だと書いています。
ものを食べることは拷問である、でも生きるためにはこれしかないのだ、とまで書かれて
他の選択肢はないと思い込まれている様子に

こういう苦痛と誤嚥による命の危険から人を守るための技術こそが胃ろうではないのかと、
私はちょっと不思議なものを感じるのですが、

そんな地獄を毎日味わなくても生きていける選択肢として
鼻からのチューブや胃ろうを提案する人はいないのでしょうか。

それとも提案はされたのだけれど、
多田氏がご自身の選択として口から食べることにこだわっておられるのか。

でも、それなら、そういう記述が出てきそうなものだという気がするから
余計に不思議な気がしてしまう。

もしかしたら、
摂食障害の程度が同じでも
知的障害が重い人(または意思・感情の表出能力が低い人?)ほど
胃ろうが造設される確率が高い……?

こんな仮説から始まる調査研究、どこかにないでしょうか。