有吉先生の卵焼き

このところ、Ashleyがらみで胃ろうが頭から離れない。

胃ろうと重症児や高齢者のケアのことを考えていたら、
大好きな有吉病院のこと、大好きな有吉先生のことを書きたくなった。

……といっても私は有吉病院に行ったことはない。

何度か仕事で有吉病院の有吉道泰院長の講演や
看護師の福本京子さんの講演を聞いたことがあって、
そのたびに病院の話を聞き、ユニットケア導入before and afterのスライドなどを見せてもらったので、
勝手にもう何度も行ったところのように親しみを感じているだけなのだけど。

医療法人 笠松会 有吉病院は福岡の小さな病院。
その「田舎の小さな病院」がものすごいことをやっている。

平成4年に 褥瘡ゼロに向けて取り組み開始。
10年には抑制廃止福岡宣言。
その後も、オムツはずしとチューブはずしに本気で取り組んでいる。

ぜんぜん詳しくないし、一応著書も何冊か読んだけど、あまり覚えていないので、
ここら辺は知ったかぶりに過ぎないのだけど、

日本にはかつて(といってもそれほど昔のことではない)外山義という素晴らしい建築家がいて、
施設に入るしかなくなっても、その施設での空間作りを通じて
高齢者に尊厳のある暮らしを保障することができるのではないかと真摯な模索を続けた。
多くの人が痛恨の思いをしたのは、02年の急逝。

有吉病院はその外山先生と出会い、
その薫陶を受けながら外山先生の設計でユニットケアを導入した。
今でもその精神を受け継ごうと毎年外山義先生記念研修会を開いて
様々な角度から高齢者の尊厳を守るケアについて研鑽を重ねている。

私は確か第3回と第4回だったかにお邪魔させていただいた。
参加しておられる方々みなさんの心の中に生き続けている外山先生の声が
誰の話からも静かに響いてくるような、
そして先生への敬愛と、自分たちが遺志を継いでいくんだという決意で
誰もが繋がれていることがじんわりと伝わってくる、熱く和やかな、いい研修会だった。

私が特に忘れられないのは
第4回の「高齢者の『食』とターミナルを支える」の中で、
有吉院長が言ったこと。

体が不自由になった高齢者が体調を崩し食べられなくなったからといって、
なぜ、すぐに点滴だ、チューブだという話になるのか。
なぜ、卵焼きを焼いて食べさせてみようという発想が出来ないのか。

そんなことを言う医師がいるということに、ものすごくびっくりして、
感動と感謝で思わず泣きそうになった。

だって、ずっと娘の施設で、私もそれを思い続けてきたのだったから。

ずっと、もう何年も何年も、そのことを訴え続けて、
介護職の人や看護師さん、セラピストたちには分かってもらえるし
同じ思いを共有もできるのに、
なぜか医師にはどうしても伝わらないことに
ギリギリと歯軋りするような思いをしながら
それでもやっぱり言わずにいられなくて
言い続け、考え続けてきたことだったから。

「食べる」ということは、絶対に「カロリーと栄養」とイクオールじゃない。
そのことは、本当はみんな知っていることだ。
自分の食生活や食へのこだわり、食の楽しみを振り返ってみればすぐにわかることだ。
お気に入りのレストランで気の合う友人と美味しい料理を食べる喜びを
自分たちは当たり前に享受していながら
どうして体が不自由になった人たちにはそんな楽しみなど無用だとばかりに
食をただカロリーと栄養の問題にしてしまえるのだろう。

患者が生活を取り戻し、患者の尊厳が守られるためには、
医療は「じゃぁ卵焼きを」という普通の常識を取り戻さなければならない、と
有吉先生はいつもいろんな言葉で、いろんな問題を通じて訴えている。

有吉先生の「卵焼き」の話、
本当は胃ろうだけじゃなくて、
Ashley事件の本質とダイレクトに繋がっていないだろうか。

このごろ日本でしきりに耳にする「ロボットによる介護」の問題にも、
繋がっていかないだろうか。私にはそう思えてならないのだけど。