ヘンだよ、Ashleyの胃ろう

ここ数日、ある人とAshleyの咀嚼・嚥下機能についてメールをやり取りしています。

コトの起こりは例の認知障害カンファでSingerが
「Ashleyには飲み込みすらできない」と発言したこと。

私はあまり意識にとめなかったのですが、父親のブログによると、
「Ashleyは風邪を引くたびに脱水症状を起こし ER に行くことになるので、
5歳の時に胃ろう造設手術を決断した」と。

(厳密には「手術を決断」としか書いてありませんが、
 ここは経管栄養の話なので、経鼻のチューブなら手術の必要などなく、胃ろうだと思います。)

そこで私のメール相手は
5歳まで口から食べることができたのだから飲み込みはできるはずだといい
Singerの説は間違いだと主張します。

重症児の嚥下機能は何かをきっかけに急速に低下することもあるから
5歳で飲み込めていたから今も可能だとはいえないと私は反論したのですが、

親のブログには去年Ashleyが果物を食べさせてもらっていると見える写真があり、
その人はその写真がAshleyに嚥下機能がある証拠だというわけです。

写真に写っているのはイチゴ、メロン、スイカ

このうちイチゴとメロンはよく熟れてさえいれば少々咀嚼・嚥下がヘタクソでも
こなせる子どもも少なくないような気がします。

だけどスイカはAshleyのような子どもにとって難物のはず。
ちゃんと噛み砕く能力がないと危険なように思います。

胃ろうを造設しなければならないほどの重症児なら
写真で女性が持っているようなプラスチックのスプーンで切れるサイズのスイカ
自分で噛んで飲み込むというのは無理があるんじゃないでしょうか。

逆に、小さなスイカ片くらいならバリバリ噛み砕いて食べられる子どもなら
もともと胃ろうは不要だったのでは?

私はこれまで、Ashelyの咀嚼・嚥下機能が低いために
誤嚥性肺炎の危険回避のために胃ろう造設しかなかったのだとばかり思いこんでいました。

だから最初、Ashleyはちゃんと食べられるのではないかというメールの相手に
重症児の咀嚼や嚥下の問題はそう単純じゃないと説明しようと苦労していたのですが、
それで写真を眺めたり、上のようなことをあれこれ考えているうちに
「Ashleyがなんで胃ろうなのか」という別の疑問が気になってきました。

父親が書いているように、
風邪を引いたときに水分補給ができなくなり脱水を起こすからというだけなら
その都度の点滴で十分に対応できるのではないでしょうか。
鼻からチューブを入れることだって可能です。
それなら飲み食いが可能になった段階で外せばいいだけですから。

体調を崩すという臨時の事態に備えて
侵襲度の高い胃ろうを日常的に置いておこうと考える医療者または親というのが
私には考えられないのですが、

もちろんAshleyの父親は「普通の親」よりも
はるかにトランスヒューマニスティックな考え方をしていると思われ、
十分にありえることかもしれないなぁ……とも。

しかし、胃ろうは周辺皮膚のかぶれや、内容物の漏れ、
定期的なチューブの交換など、
本人にとっては必ずしも快適とは限らないのだし
何より口から食べることの大切さが日本でも見直されているところ。

親なら普通は
よほど本人の命が危うくなったり、むせによる苦痛が極端にひどくならない限り
できるだけ口から食べさせてやりたいと考えます。
甘いとかすっぱいとか、「ああオイシイ」と家族が目を見合わせる幸せとか
食にはカロリーや栄養分の問題だけではない豊かさがありますから。

そのあたりのことを考えると、
ここでもまた「どうせAshleyには何も分からないのだから
口から食べて、ものを味わうことなどどうせできない。
特に機能面では胃ろうの必要がなくても、
それで十分なカロリーと栄養が確保できて
体調不良の時の脱水も防げる、
さらに3度の食事介助もなくなって介護もラクになるのなら
本人にとっても家族にとっても一石二鳥の利益のあるテクニカルな解決……という
父親の声が聞こえるような気がする――。

おや――?

この論理って、生理痛を回避するために子宮をとってしまおうという彼の論理と同じですね。
痛み止めを飲むとか、毎月ホルモン注射をすることでのコントロールも可能なのに、
そんな七面倒くさいことせずに、いっそ子どもの体を侵襲して子宮をとってしまおうと。