「介護者の権利章典」訳を改定しました

2年半くらい前から「介護保険情報」社会保険研究所)という雑誌に
「世界の介護と医療の情報を読む」というタイトル通りの内容の
小さな連載を書かせてもらっています。

私がAshley事件と出会ったのも、
その出会いをきっかけにブログを始めたり生命倫理に興味を持ったりしたのも
その後ずっとブログのネタを拾っているのも
この連載を書くためのニュース・チェックを通じてのことです。

10月10日のエントリーで訳してみた「介護者の権利章典」は
連載の始め頃に編集者の方からその存在を教えてもらったもので
機会があれば翻訳・紹介したいとずっと考えていました。

このたび12月号の連載を
「障害のある子どもを殺す母親たち」というタイトルで書き、
合わせて「介護者の権利章典」を紹介させてもらいました。
掲載に当たり、10月10日のエントリーの仮訳を元に
編集部の方々のご意見を伺いながら訳文に手を入れました。

まだまだ中途半端なままに決断するしかなかった箇所の多い拙い翻訳ですが、
今の段階での改訂版ということになるので、改めて以下に。



介護者の権利章典


私には次の権利があります。

1 自分を大切にすること。これは決して自分本位な行いではありません。自分を大切にしてこそ、家族にも良いケアができるのです。

2 たとえ周囲から反対されても他の人に助けを求めること。自分の忍耐と力の限界は自分で分かっています。

3 介護とはまた別の自分自身の生活、家族が健康であったら送っていたはずの私自身の生活を守ること。私は、家族のために無理のない範囲でできることは全てやります。それと同時に、私には自分自身のために何かをする権利もあります。

4 時に怒りを感じたり、落ち込んだり、その他、やっかいな感情を口にすること。

5 罪悪感をもたせたり気持ちを落ち込ませたりして(時にはその両方を通じて)、身内の人間が私を操作しようとする(意識的であれ無意識であれ)のを許さないこと。

6 私が思いやりと愛情と許しと受容の姿勢で接している限り、愛する人に私がしてあげていることに対して私もまた思いやりと愛情と許しと受容を与えられること。

7 自分が成し遂げていることに誇りを持つこと。そして家族のニーズに応えるため時として勇気を奮い起こしている自分に拍手を送ること。

8 家族が私のフルタイムの介護を必要としなくなった時にも私が私のままでいられるように、一人の人間として生きる権利、私自身の人生を生きていく権利を守ること。

9 身体的・精神的な障害をもつ人々を支援する社会資源を求めて、わが国が歩みを進めているのと同じように、介護者を支えるための歩みも進められるよう望み、要求していくこと。

注:原文では介護される人をrelative としていますが、ここでは「家族」と訳してみました。
(児玉真美 仮訳)

介護保険情報」2008年12月号 P.90

原文の出典は
”CAREGIVING: Helping An Aging Loved One” (Jo Horne, AARP, 1985)ですが、
著者のHorneによると“読み人知らず”とのこと。

私はコピーライトについて詳しいことが分からないのですが、
このエントリーは編集部の了解を得て掲載させてもらっています。

コピーライトは私ではなく「介護保険情報」誌にあるのではないかと思うので
引用、転載される方は「介護保険情報」12月号の出典を
明記してくださるようお願いいたします。