「ベーシック・インカム」をちょろっとだけ舐めてみた

最近、なにやら目にすることが多いので
ベーシック・インカム」って一体なんなんだろうと気になって、
とりあえず、この本を読んでみました。

「ベーシック・インカム – 基本所得のある社会へ」
ゲッツ・W・ヴェルナー著 渡辺一男訳

これを読んだだけで、経済学も何もチンプンカンプンの私が
ちゃんと理解できたとも思えないのですが、
とりあえず私の単純頭がものすごく大雑把に理解したところで言えば、
ベーシック・インカムとは、まさに読んで字のごとく、
生活に最低限必要な所得を全ての人に無条件に保証して
働かなくても誰でも生きていけるよう生存だけは保証しましょう、という構想。

財源は消費税。

なぜ、そんな構想が語られる必要があるかというと、たぶん、
かつてのように労働が所得とシンプルに結びついて
誰でも働けて、働けば誰でも一定の所得が得られるという世の中ではなくなったから。

IT技術の進歩やグローバリゼーションで
万人に行き渡るだけの仕事が世の中にはなくなって
また富を生み出すものが労働でもなくなって、
労働が富を生み、その富で運営される家庭が労働力を再生産する仕組みを前提に
富を再分配して、その仕組みを支えてきた戦後の福祉国家の役割が
もはや機能しなくなっているから。

グローバリズムネオリベラリズムによって
資本主義原理が労働者に最低限の人間らしい生活を保障しなくなってしまったから。

もちろん、ベーシック・インカム構想というのは
あくまでも所得保障に留まるので、その他の社会保障は別問題になるのだし、

基本所得によって生存が保障されたら誰もが自由になって
自分の本来の意欲と能力に応じた仕事をすることできるという著者の人間観には
ちょっとついていけないところも感じるのですが、

一番ガーンときたのは
もう、みんなに行き渡るだけの仕事はないのだという指摘。
やっぱり……というか。

本当はそうじゃないのかなぁ……と漠然と感じていながら
そうじゃないフリをして、
そうじゃない前提で回っている仕組みに胡坐をかいて、
一番アンラッキーな人たちを平気で見殺しにしつつ
一番ラッキーな部類の人たちがさらに富むための世の中が作られていっていることを
本当はみんなどこかで感じているのだろうと思うのに。

一部の富める国の利益と欲望のために
貧しい国が搾取され切り捨てられて無政府状態に追い詰められていく世界の状況においても
きっと本質は同じことなのだろうと思うのに。

そして、それは多分、医療や科学や技術においても
もはや万人が少なくとも最低限の恩恵にはあずかれる仕組みが崩壊して
本質的には同じことが進行しているのだろうと思うのに。

そういうことを考えた時に、
たとえ夢物語やユートピアめいているとしても、
ごく一部の最強の人たちだけに富や資源が集中して
彼らの欲望を満たすべく、さらにそこに集中するような世の中を押し進めるために
最も弱い人たちを切り捨てたり見殺しにするのではなく、
とりあえず、みんなが生きていける世の中を目指して
ちょっとこの辺で転換してみようよ、という提案なのだなと。

そうしなければ世の中が成り立たなくなっているかのように
我々はつい思いこまされているけれど、
他の方策もあるんじゃないのか、
考え方さえ転換すれば本当は切り捨てなくても
みんなで生きていける方策はあるんじゃないのか、という提案なのだな、と。

それなら医学や科学・テクノロジーの開発とその利用においても、
ごく一部の富裕層の肥大する欲望を満たすための最先端医療や科学技術が
膨大な資金を投入して開発される一方で
基本的な医療すら受けられないで命を落とす人たちが出てきている不均衡を、
ベーシック・インカムのような構想で転換してみようよ、という提案だって、
ありえるんじゃないだろうか……と。

ユートピアであれなんであれ、
そういうことを考え続け、言い続けることは
やっぱり大切なんじゃないだろうか。

呪文のように繰り返される「社会的コスト」のリフレインに毒されて、
いつのまにか一緒になって「だって、現実にコストの問題が」などと
切り捨てられる側までが切り捨てに加担させられてしまうよりは。


【直接つながっているわけではないけど、やはり思い出したのはこの本だった】
「反貧困 -『すべり台社会』からの脱出」

【くだらない話で申し訳ないけど、前にこんな会話があったのも思い出した】
妄想