親の会がNPOで成年後見、地域ボランティアによる「訪問里親」制度も(岡山・旭川荘)

ああ、こういうのもアリなんだなぁ……と目からウロコ。


某所で耳にした話では
司法書士など専門家のアドバイスを受けて、
親の会が立ち上げるNPOでは主に身上監護を担っていこうという話だとか。

旭川荘の親の会、やるなぁ。すごいなぁ。

         ―――――

この件で検索していたら
旭川荘児童院では他にも「愛の訪問里親」制度というのも始められていた。

詳細は児童院通信9月号の2ページ目に。

法的な縛りや意味合いの一切ないボランティアで
重症者と関る上で必要な知識や技術に関する講座を受けた上で里親として登録した人が
行事や学校の参観日に親代わりとして訪れたり食事介助や散歩などで
親の高齢化や死去で面会者がなくなる入所者に外部の人との関りを、という趣旨。


かつて見学に行った時に
旭川荘では布オムツを使用していて、
洗濯から上がってきた膨大な量のオムツを畳む仕事を
ボランティアの人たちが担ってきた伝統があると聞いた。

そういう伝統があってこそ、
長年、旭川荘に通っているボランティアの人たちの中から
おのずと生まれてきた制度なのかもしれない。

自立支援法で施設の経営状況が厳しくなり
介護職も看護職も不足しがちな状況の中で、
どの施設もが飛びついたりすると同名の別物も出てきて
職員がするべき仕事を安易にボランティアに頼ることにもなりかねない懸念が
ないわけではないけれども、

それまでのボランティア活動の継続の中から
自然に「私はこの人のことがなんだか気になるのよ」という気持ちになってくれた人が
その人の「訪問里親」となって気にかけてくれるのであれば、
親亡き後ならずとも、入所者の生活が広がり豊かになる。

娘の施設を見ていると、
施設職員の方々の中にも利用者さんとの繋がりが仕事上のかかわりで終わらず
異動や退職をされた後にも「どうしているかと気になって」と
覗いてくださったり行事のお手伝いに来てくださることも多い。

そういう人が「訪問里親」となってくださるのもまた、
親にとってありがたく、将来への不安軽減につながるような気もする。

施設が閉鎖的な空間になるのも防げるし……などと考えていくと
「親の安心のために」というセコさ(エゴ?)がどうも先行しているなぁ……と
我ながら鼻についてもくるのだけど、

親が障害のある子どもを殺すことを、そのことの是非だけで論じて
ゼロか100かの議論をするよりも、

親だってそれが正しくないことだと判っていないわけでもなければ
殺したくて殺すわけでもないのだから、

ゼロか100かの間で見過ごされている障害児・者親子の置かれた現実を
その現実に則して細かく丁寧に理解していくことと同時に
どういう支援なり仕組みがあったら親が殺さずに済むのかという手立てを
丁寧に考えていくとしたら、
ゼロと100の間には、まだまだ無限の可能性があるはずで、
そっちの方が本当は大切なことなんじゃないだろうか。