心臓発作で全身麻痺したら「栄養は無益」だと

California州でも、あやうく第2のシャイボ事件。

こんなことが現実に起こるのだったら、
いずれ多くの障害者から医療も栄養補給も引き上げられていくことになるだろうし、

もしも、ある日突然に脳卒中や心臓麻痺で倒れ、
意識が戻っても体が思うように言うことをきかなくなっていたとしたら、
意識はあるんだ、ちゃんと分かっているんだと必死で瞬きや顔の表情で訴えても、
「この人には意識はありません。瞬きも涙も生理的な反応です」と無視され
「どうせ回復することはないから治療は無益」と医師が宣告すれば、
あなたはその時点から餓死させられてしまう──。
そういう社会が少なくとも米国では、すぐそこまで来ているということであり

日本でも起こらない保障もない、ということでは……というニュース。


Janet Riveraさん(46)が心臓発作を起こしたのは2006年2月。
当初は人工呼吸器がついていたのですが、現在は自立呼吸。

法律的な知識がないので両者の違いが分からないのですが、
guardian(代理人?)は従姉妹に、conservator(保護者?)は夫に決まっていたようです。

ところが夫がJanetさんの医療費を支払えなくなったために
6月17日から保護者の任がFresno郡の検視官に移り、
Janetさんが回復することはないとの医師らの見解を受けて
この検視官が栄養チューブを取り外すことを決定。

代理人であった従姉妹も州外へ引っ越すことになったために
裁判所に別の従姉妹が代理人になるべく申請を出していたようです。
14日に裁判所がその人を有資格と認め、
またJanetさんの兄が別途、保護者となるべく手続きを進めているので、
Janetさんの栄養と水分の供給については改めて判断されることとなるようです。

この間、Janetさんは11日間栄養と水分の供給をストップされていました。
シャイボ事件でTerri Schiavoさんが息を引き取ったのは13日目だったので、
餓死寸前だったということでしょう。

こういう事件の記事を読むたびに、いつも首を傾げてしまうのは2つ。
1つは、兄がJanetさんは瞬きと口の動きで反応するといっているのに
「心臓発作から一度も意識を回復したことがない」と書かれていること。

お兄さんまでが、「妹はまだ意識がある状態だと思う」と言いながら
同時に「かならず目覚めさせてみせる」と矛盾したことを言っているのですが、

イメージ 1
記事に掲載されているこちらの写真を
見てもらいたいのだけれども、
眼が開いて、
その眼にこれだけの力があり、
(眼球が寄っているのは麻痺のためかも)
瞬きや口の動きで反応できるこの人は
本当に意識がないのでしょうか。

重度障害のある人との意思疎通には、受け止める側に
非常に繊細な感受性と感度の高いアンテナが必要です。
「どうせ何も分からない人だ」と考えている人には、
どんなに必死の信号も届きません。

言葉という表現手段を失ったら、
それだけで「意識がない」と決め付ける文化がいつの間にか蔓延しているとしたら、
それが如何に怖いことか、重症障害者の介護に携わっている人なら分かるはずです。


もう1つは、
一体いつから「回復しない」ことが「無益な治療」の根拠になったのか、という点。
「無益な治療」とは本来は死が差し迫ったターミナルな状態の患者でのみ、
本人に苦痛を与えるだけで益のない治療を意味していたのではなかったでしょうか。
それがいつのまにかターミナルでもなんでもない患者に、
ただ「回復しないから」という理由で
栄養と水分の供給までが「無益な治療」として停止される。

もしも「回復しない」のが栄養と水分停止の理由になるのであれば、
重度障害はもちろん不治の病も「無益な治療」論による治療停止の適用対象になります。

しかも医療費が支払えなくなったことが境目になっていることを思えば
「どうせ治らない患者への治療は医療費の無駄」という
本来はまったく別の動機がそこに紛れ込んでいるわけで、それならば
治る病気の人以外は医療を受けられない日がくるのかもしれない、ということでしょう。

Janetさんのケースに関与している
Right to Life of Central Californiaというプロライフの団体のディレクターが
以下のように警告しています。

いわゆる「無益な治療」論について国民レベルで議論する必要があることを、
この事件は示しています。
……
現在のところ、医師や病院の個人的な考えで治療をやめることが可能なのです。
こんなものは医療決定ではなく、価値観による判断に過ぎません。
みんなで強く反対の声を上げて行政が動かなければ、
「一番よく分かっているのは医師」で殺されてしまう新たな慣行が
あなたの身近な病院にも間もなくやってくることになるでしょう。

        ―――――

日本でも、大きな改善に結びつかない維持期のリハビリが認められなくなった
数年前の激震は記憶に新しいところですが、
あの背景にもまた「医療費の削減に結びつかないリハビリはゼニの無駄」という考えがあるわけで、
案外、似たようなことは日本の医療でも形を変えて進行しているのかも。